丹波慎也の死因は?兄,上地雄輔や松坂大輔との関係,実力,球速も調査!!

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高校野球の名門、横浜高校伝説の投手である丹波慎也氏をご存知だろうか?

丹波氏を知る人は、あの松坂大輔や、筒香嘉智をも超える史上最強の選手だと断言し、彼の凄さを語っている。

世間的には有名な選手ではないが、野球好きな人にとっては知っておかなければいけばい伝説の選手なので、今回はその丹波慎也氏を紹介していこうと思う。

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丹波慎也 プロフィール(経歴 成績)

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引用元:カトキョンのブログ

生年月日:1978年

身長:184センチ

体重:82キロ

丹波慎也氏のプロフィールはあまり知られていないが、中学時代から野球エリートとして名を馳せ、中学時代には全国制覇を達成し、名門横浜高校に進学した。

当時の渡辺監督曰く、

「丹波は野球への取り組み方、学生生活、どれを取っても模範となる生徒であった」

と言うように野球の技術だけでなく、私生活でもきちんとしており、人間性が素晴らしい人物であったのがわかる。

そんな丹波選手だが、横浜高校のエースで4番というチームの顔として活躍していたが、17歳という若さでこの世を去りました。

彼が他界した原因は心臓肥大による急性心筋梗塞だった。

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亡くなる前日まで何も異常もなく、ごく普通に生活していたが、眠ったままそのまま息を引き取ったそうです。

『不運のエース』と言われ、生きていれば松坂以上の存在になっていただろうと言われている丹波選手の逸話は後述しようと思う。

丹波慎也 死因

丹波氏の死因は、心臓肥大による急性心筋梗塞であった。

心臓肥大

高血圧によって血液を送り出すのにさらに大きな力を要するようになったため、負担が増した心筋が厚くなり、心臓肥大を起こします。心臓の機能が低下し、全身に血を送り届けることが十分にできなくなった状態のことを指し、病名ではありません。

心筋梗塞

心筋梗塞は冬場に多く発症し、時間帯別では朝方に多い病気と言えます。特に温度差が生じる場所が極めて危険とも言われています。
また日常生活習慣、特に高血圧、高脂血症、喫煙、糖尿病、肥満との関わりがあるといわれています。それらの生活基盤から発生する動脈硬化や血栓症が原因となり、血栓形成が始まり冠動脈から始まる心臓周辺の血管を突然つまらせることになります。
一刻を争う重篤な疾患であり、発症後できるかぎり早急に病院へ行き、治療を始めることが重要です。

日本の三大疾病である『ガン』『急性心筋梗塞』『脳卒中』の中の1つが心筋梗塞であり、日本人全体が気をつけなければいけない病気の一つである。

これらは普段の生活習慣が原因で発症する病気であり、偏った食生活や運動不足、ストレス、喫煙など毎日の生活の積み重ねによって引き起こされます。

この要因でいうと、丹波氏がこの通例に当てはまっていたかは不明だが、10代で急性心筋梗塞を発症したのは、あまりに不運である。

有望な野球選手にこのような運命を下した神様は、何とも残酷だと感じるし、横浜高校史上最強の選手のプロでの活躍も見てみたかったと思う。

丹波慎也 イケメンで高身長

丹波氏を知る人曰く、彼は相当なイケメンで、身長も高く、男女関係なく慕われていたそうだ。

身長は180センチを超え、野球部のエース、そして勉強でも学内トップクラスの学習成績を残しており、文武両道をきちんと体現していた素晴らしい模範生だったそうだ。

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丹波慎也 実力と球速

丹波氏は横浜高校に進学後、1年の夏から控え投手としてベンチ入りを果たしている。

控え投手ながら、140キロ越えのストレートを武器にしており、大会前の練習試合でもノーヒットノーランや完封試合を達成している。

投手ながら、バッティングセンスも他の選手よりも上をいっており、1年の時から本塁打を連発、打率も5割を超えていたそうだ。

つい数ヶ月前まで中学生だった彼が、高校進学後すぐにここまでの成績を残していたことを考えると、やはり怪物であったのが容易に想像できる。

丹波慎也 上地雄輔と松坂大輔との関係

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引用元:音楽ナタリー

タレントであり、歌手の上地雄輔氏が、かつて自身のブログで丹波氏についての記事をアップしていた。

そのブログによると、上地氏は中学3年生の夏、甲子園予選の神奈川大会をTV観戦していた。

当時の上地氏はアマチュア野球界で有名な選手で、多くの強豪校からお誘いを受けている状態だった。彼は自身の進学先を決め兼ねていたが、そんな中、ブラウン管の向こうで1年生ながら圧倒的なピッチングを披露していた丹波氏のプレイが目に止まり、あることを決意した。

「俺はこのピッチャー(丹波氏)の球を受けたい。横浜高校へ行く!」

そう。彼は幾つかの進学先の候補から、丹波氏のいる横浜高校への進学を決めたのだ。

そして上地氏が横浜高校へ進学後、初めてあの丹波氏と会った上地氏は、

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「おぅ!お前が上地か。よろしくな!」

と声をかけられたそう。

その後はピッチャーとキャッチャーという関係もあり、2人は練習を共にする時間が多く、上地氏は丹波氏から、多大な影響を受けたのである。

後にも先にも、この伝説の投手の球と、上地氏の1個下の後輩である松坂大輔氏の球を受けたのは上地氏であり、上地氏もある意味伝説のキャッチャーなのかもしれない。

丹波氏の死去から2年後の1998年、松坂大輔氏が甲子園で大活躍し、その後の横浜高校の常勝軍団への流れを作り出したのは、おそらく丹波氏のお陰といっても過言ではない。

丹波慎也 兄と家族

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引用元:ヤフオク

丹波氏の兄である幹雄氏。

彼も横浜高校で活躍したピッチャーであった。

そんな彼が、弟の亡くなる2週間前、キャッチボールをしていた。

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当時、兄の幹雄氏は肘を痛めており、思うような投球が出来なかった。

しかし、弟の慎也氏は兄に「まだまだやれる!」と助言をしたのだ。

そこで幹雄氏は肘の手術を決意し、無事に手術終了後に野球を再開し、慎也の死後3年後にヤクルトスワローズからドラフト指名を受けたのである。

チームメイトだけでなく、家族にも多大な影響を与え続けた慎也氏。

いつでもどこでも慕われていた慎也氏の精神性は、今も横浜高校の野球部に受け継がれていることだろう。

兄・丹波幹雄氏の記事はコチラ
丹波幹雄現在の写真(画像),兄弟は丹波慎也!会社(企業)はどこ?

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