野球において、一番と言って良いほど重要なポジションであるキャッチャー。
「強チームに好捕手あり。」とも言われ、強いチームには必ずキャッチャーの活躍があると言っても過言ではありません。
そんな強いチームとして、パ・リーグの勝者として近年君臨しているのが福岡ソフトバンクホークス。
破壊力抜群な打線に注目が行きがちですが、やはり扇の要であるキャッチャーの存在が大きく貢献していると思います。
そのキャッチャーが、甲斐拓也選手。
育成選手としてのプロスタートながら、今や甲斐拓也選手の代名詞とも言える「甲斐キャノン」を武器に、支配下登録を勝ち取ると、
またたく間に福岡ソフトバンクホークスの正捕手に。
その力は、チームに留まらず、日本代表・侍ジャパンの正捕手としても活躍しています。
今回は、そんな球界を代表するキャッチャーとなっている、福岡ソフトバンクホークスの甲斐拓也選手について紹介していきたいと思います。
甲斐拓也選手(福岡ソフトバンクホークス)選手のプロフィール・出身地・経歴・成績について
甲斐拓也選手は、1991年11月5日生まれの27歳(2020年4月現在)。
身長170cm、体重84kgと、プロ野球選手の中では、比較的小柄な体格をしています。
大分県大分市出身で、小学校中学校と地元大分で過ごしてきました。
野球を始めたのは、小学校1年生の時で、自身の兄の影響で野球を始めたそうです。
中学時代は、地元のシニアチーム「大分リトルシニア」に所属し、内野手として全国大会にも出場した経験があります。
まさにこの頃から「野球エリート」であったようですね。
中学卒業後、高校は地元大分の強豪・楊志館高等学校に進学しました。
高校に入学すると、キャッチャーであった兄と同様に、キャッチャーへ転向しました。
甲斐拓也のキャッチャーとしてのキャリアは、この高校生の時にスタートしたことになります。
高校では、2年生の時に早くも正捕手として試合に出場。
高校時代は、大分の強豪・明豊高校がライバルとしており、その頃は、今や甲斐拓也選手と同じチームメイトである今宮健太選手が所属していたこともあり、甲子園への道はかなり険しい道のりでした。
結果、高校3年間で甲子園出場は果たせませんでしたが、高校通算40本塁打を記録し、強打のキャッチャーとして県内からは注目を浴びる存在となっていました。
甲斐拓也選手は、高校の野球部引退後に「プロに進む」ということは考えていなかったそうですが、高校の監督が福岡ソフトバンクホークスのスカウトに連絡を入れ、甲斐拓也選手の視察を依頼したことで、その人生は急展開を迎えることになりました。
甲斐拓也選手を視察した福岡ソフトバンクホークスのスカウトは、甲斐拓也選手のスローイングを高く評価し、このドラフトで入団する年を機に、チームに3軍制度が導入されることも踏まえ、甲斐拓也選手を育成ドラフトで指名することになりました。
そして迎えた2010年の育成ドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークスから6位指名を受け入団。
背番号は「130」で入団当時の登録名は「拓也」として入団を果たしました。
ちなみにこの年の育成ドラフトでは、今や福岡ソフトバンクホークスの絶対的エースである千賀滉大投手も指名されており、まさに大豊作の育成ドラフトとなりました。
入団1年目は、3軍での試合出場のみとなり、ポジションもキャッチャー以外にサードのポジションでも出場する試合がありました。
入団2年目は、初の2軍戦への出場を果たすものの、前年に引き続き3軍での試合出場が主となっていました。結果、2軍戦には20試合に出場に留まりました。
入団3年目は、実戦経験を多く積むため、3軍の試合に集中して出場。結果、3軍では84試合に出場し、試合経験を多く積みました。
結果、この年のオフに育成選手から支配下登録をされ、背番号も130から62へと変更されました。
入団4年目、支配下登録選手として初めて迎えたシーズンは、他の選手の怪我の影響などもあり、春季キャンプでA組(1軍相当)に抜擢をされる華々しいスタートを切りました。
このキャンプからオープン戦にかけて猛アピールを行なった甲斐拓也選手は、首脳陣からも高評価を得て、見事開幕1軍の切符を手にしました。
開幕スタメンでの出場は叶わず、開幕してほどなく、1軍捕手がやや過多であるというチーム事情から、2軍へ降格。
その後、2軍での試合出場・調整を続けると、6月に1軍へ再昇格。6月7日の広島東洋カープ戦でプロ入り初の1軍出場を果たしました。
この試合では、9回裏からの守備から出場したということもあり、打席が回らず、プロ入り初打席はお預けとなってしまいました。
その後、6月13日に再び登録抹消をされると、このままシーズンは終了。
1軍でのプロ入り初出場を果たすものの、打席には立たず、この1試合のみの出場となりました。
入団5年目、2年連続での開幕1軍を迎えるものの、再びすぐに2軍へ降格。
入団4年目とほぼ同じような形でシーズンを過ごすこととなり、この年も守備のみ1試合に出場し、シーズン終了を迎えました。
入団6年目、この年は開幕1軍入りを逃すものの、6月に1軍に昇格。そして6月13日の東京ヤクルトスワローズ戦で代打として念願のプロ入り初打席を迎えました。
結果、見事初打席で初安打。その安打がタイムリーヒットとなり、初打点も記録しました。結果、このシーズンはこのままシーズン終盤まで1軍に帯同し、1軍で13試合に出場しました。
2軍では、42試合の出場ながら、打率.323のハイアベレージを残し、高校通算40本塁打の打棒を発揮する形となりました。
入団7年目、この年から登録名を「拓也」から「甲斐拓也」へ変更。するとその機運があったか2年ぶりに開幕1軍を勝ち取りました。
そして4月2日にはプロ入り初となる1軍でのスタメン出場を果たしました。そしてその後は出場試合数を増やし、5月にはプロ入り初となるホームランを逆転満塁ホームランで記録しました。
結果、この年に飛躍的な活躍を見せ、1軍では自己最多となる103試合の出場を果たしました。
チームが日本シリーズに出場すると、甲斐拓也選手も若手投手登板の際にスタメンでの試合出場を果たし、見事チームの日本一に貢献しました。
シーズンオフには日本代表にも選出され、タイトルとしては、育成出身のキャッチャーとしては史上初となるゴールデングラブ賞とベストナインを獲得しました。
入団8年目、福岡ソフトバンクホークスの正捕手の座を獲得すると、このシーズンには133試合に出場。盗塁阻止率では.447の好記録を叩き出し、強肩キャッチャーとして他球団が恐れるキャッチャーとして成長しました。
チームが日本シリーズに出場すると、打撃成績はイマイチながら、日本シリーズ最多記録となる、6連続盗塁阻止を決め、見事チームの日本一に貢献。
この盗塁阻止がかなりのインパクトを残したことから、育成出身の選手としては初となる日本シリーズ最優秀選手を受賞しました。
この活躍がフューチャーされ、甲斐拓也選手の強肩の代名詞と言える「甲斐キャノン」が全国へ広まることとなりました。
この年のオフに開催された日米野球の日本代表にも選出され、チームのみならず、日本代表の正捕手としても活躍しました。
入団9年目には、キャリアハイの137試合に出場。これまで守備型のキャッチャーとしての印象が強かった甲斐拓也選手でしたが、この年は打撃面でも開花。
打率、本塁打ともキャリアハイの成績を残し、中でも本塁打に関しては、育成選手としては初となる二桁本塁打を記録しました。
結果、自身初となる規定打席も到達し、打率.260、11本塁打を記録し、プレミア12の日本代表にも選出されました。
2020年は、背番号を「62」から、かつて福岡ソフトバンクホークスの前身である南海にて野村克也氏が付けていた「19」番へ変更しています。
甲斐拓也選手は、これまで数々の名捕手からも絶賛をされており、
千葉ロッテマリーンズで正捕手として活躍し、WBCのベストナインにも選ばれた里崎智也氏からは、甲斐拓也選手の守備を12球団のキャッチャーの中でNo.1であると評価しています。
また、横浜ベイスターズや中日ドラゴンズで長きにわたり正捕手を務めた谷繁元信氏からは「下半身、ステップの使い方が上手く、打撃もパンチ力がある」と評価を受けています。
そして、球界を代表する名捕手である野村克也氏からも「名捕手になることは間違いない」との太鼓判も押されています。
甲斐拓也選手の嫁・結婚相手はどんな人?
スポンサーリンク引用:捕手速報
キャッチャーとしての活躍もさることながら、サラサラヘアーが特徴的でもある甲斐拓也選手。
強靭な下半身とさわやかな好青年とという印象ですが、甲斐拓也選手の結婚事情はどうなっているのでしょうか。調べてみたところ、甲斐拓也選手は、2018年3月30日に結婚をしていたそうです。
お相手は、福岡市在住の元幼稚園教諭の方だそうです。甲斐拓也選手とは同い年で、出会いは2013年の4月。
その後、2013年の9月に甲斐拓也選手から告白をし、交際がスタート。
交際期間4年半を経て、見事ゴールインとなったそうです。甲斐拓也選手いわく、奥さんは野球について詳しくはないそうですが、甲斐拓也選手が苦しい時には、人としてのアドバイスを送ってあげているそうです。
奥さんの得意料理は卵焼きだそうで、卵の中には、マヨネーズとベーコンが入った変わり種。甲斐拓也選手もお気に入りの一品だそうです。
2020年シーズンは新型コロナウィルスの影響で、プロ野球も開幕が延期しています。
そんな中、取材の中で甲斐拓也選手は、家にいる期間が長くなったことで、妻の力、存在が大きいことを感じている、と話しています。
家事などは甲斐拓也選手もお手伝いをしているそうですが、料理は本当に苦手だという甲斐拓也選手。
そんな甲斐拓也選手を支える奥さんの存在を大きく感じているそうです。甲斐拓也選手に子供はいる?
引用:goo
結婚となると、次に気になるのがお子さん。
甲斐拓也選手の奥さんは元幼稚園教諭ということもあって、子供好きであることは想像できますが、
お二人の間にお子さんはいるのでしょうか。実は、甲斐拓也選手が結婚を発表した2018年のオフには、この年にすでに長男が誕生したことも合わせて発表をしていました。
お子さんの特徴としては、目は奥さんで鼻と口は甲斐拓也選手に似ていると話しています。家にいる時間が長くなっていることで、子供と遊べる時間も一時的には増えている甲斐拓也選手。
家では子供と遊んでリフレッシュをしているそうです。甲斐拓也選手の父親、母親はどんな人?個人タクシーの運転手の情報について
今や球界を代表するキャッチャーにまで成長をした甲斐拓也選手。
そんな甲斐拓也選手を育ててきたご家庭はどんなご家庭だったのでしょうか。調べてみると、甲斐拓也選手のご両親は、甲斐拓也選手が幼少期の頃に離婚をしていたそうです。
甲斐拓也選手はお兄さんとともにお母さんの手に渡り、母子家庭の中で育ってきたそうです。お母さんは、個人タクシーの運転手などで生計を立て、男兄弟を育ててきたそうです。
スポンサーリンクちなみに甲斐拓也選手のお母さんの車のナンバーは、甲斐拓也選手が支配下登録をした際の背番号と同じ「62」だそうです。
甲斐拓也選手自身も、そんな母には深く感謝しており、取材の中でも「母ちゃんのことを思えば頑張れた」と、母の支えあってこそであると話しています。
また甲斐拓也選手自身が挫折し、挫けそうになった時には「ダメだったら帰っておいで」と優しく声をかけたそうです。2018年、甲斐拓也選手が日本シリーズでMVPを獲得した後のインタビューでは「母親への恩返しはまだ途中だし、これからも喜ばせたい。まだできていない。」と話しています。
偉大なる母親への感謝の気持ち絶やさず、これからも頑張ってほしいですね。
甲斐拓也選手の愛車は?
引用:LEXUS
プロ野球選手の成功の証ともいえるのが、愛車。
高級外車を乗り回すイメージのあるプロ野球選手ですが、甲斐拓也選手の気になる愛車は何なのでしょうか。調べてみたところ、甲斐拓也選手の愛車はレクサスのRXという車でした。
近年流行りのSUV車に乗っているということですが、外車ではなく、日本車を選んでいるようですね。福岡ソフトバンクホークスの他の選手もレクサスを乗っている選手が多くいるようですから、他の選手の影響もあり、レクサスに乗っているのかもしれません。
お子さんが大きくなることや、給料も上がってきていることで、乗り換えもありそうですね。
ちなみに、2019年の年明けにはフロントガラスに愛車に鳩のフンが3ヶ所もついてしまうという不運?もあったそうです。当時の記者からは「ウン(運)がついている」と言われましたが、結果、この年にキャリアハイの成績を残したことから、あながち間違いではなかったかもしれません。
家族も鳩も?味方に2020年もさらなる飛躍に期待したいですね。
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