日本ハムファイターズ

大田泰示の嫁,子供は?髪型やごはんを頬張る可愛い姿についても

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北の大地、北海道に本拠地を構える、北海道日本ハムファイターズ。
北海道移転後には、数々のスター選手が在籍し、一躍パ・リーグの人気球団となりました。

そんな北海道日本ハムファイターズで意外と知られていないのが「他球団からの移籍組の活躍」ではないでしょうか。

もともと大型な補強を行うチームではないため、補強のイメージがあまりない球団ですが、
的確な他球団とのトレードを実施し、チームの活性化と強化を行なっているのです。

そんな中でも、他球団とのトレードで花を咲かせた選手として現在活躍しているのが、大田泰示選手。

ドラフトでは巨人からの指名を受け、かなりの期待を寄せられながらも、なかなか結果を出せず、2軍暮らしが続いた選手でした。

それが今では北海道日本ハムファイターズの中心選手として活躍し、2020年シーズンには4番候補としてまで名前が挙がるほどまでになっています。

今回はそんな北の大地で大輪の花を咲かせた大田泰示選手について紹介していきたいと思います。

大田泰示選手(北海道日本ハムファイターズ)のプロフィール・出身地・経歴・成績について

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引用:MIZUNO

大田泰示選手は、1990年6月9日生まれの29歳(2020年3月現在)。
身長188cm、体重94kgの選手です。プロ野球選手の中でもかなり大柄な選手ですね。

広島県福山市出身で、小学校中学校と地元広島で過ごしてきました。
お父さんの影響で小学1年生の時にソフトボールを始め、小学5年生からは軟式野球を始めました。
その後、中学でも野球を続け、中学2年生の時には県大会で優勝を果たすという素晴らしい成績を残しました。

高校は地元・広島を離れ、神奈川県の強豪・東海大学付属相模高等学校に進学しました。
地元から遠く離れた神奈川県の東海大学付属相模高等学校に進学した理由としては、中学時代に参加したプロ野球選手による野球教室で、原辰徳監督からスイングを褒められたからだそうです。

高校入学直後の1年生の春からベンチ入りを果たすと、1年生の秋から4番に座りました。
その当時は、神奈川県の名門・東海大相模の1年生4番バッターとして多くの注目を集めることとなりました。

その後、2年生の秋からは主将を務め、高校通算では65本もの本塁打を放つものの、強豪ひしめく神奈川県大会で優勝を果たすことができず、高校生活で甲子園大会の出場は一度もありませんでした。

それでも、高校生離れした体格から放たれる規格外の打球、そして肩の強さ、加えて3年生の時から守っていたショートというポジションから、超大型内野手として、プロ野球スカウトから高評価を集めました。

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大田泰示選手自身は、当初大学への進学を表明していたものの、その後一転、プロ野球への志望届を提出しました。
そして2008年度のドラフト会議にて、読売ジャイアンツと福岡ソフトバンクホークスから1位指名を受け、くじ引きの結果、読売ジャイアンツが交渉権を獲得。入団することになりました。

巨人入団の際には、松井秀喜氏が背負っていた「55」番を大田泰示選手が受け継ぐことが発表され、「松井秀喜2世」として、全国民からの注目を一気に浴びることとなりました。

加えて、原辰徳監督に憧れて入学した東海大学付属相模高等学校から、その原辰徳監督を追うようにして巨人に入団したこともあり、まさに「巨人の次世代スター候補」として脚光を浴びることとなりました。

1年目のキャンプでもその注目度は衰えることなく続き、原辰徳監督から直接指導を受けるなど、期待値はぐんぐん上昇しました。
高卒ルーキーということもあり、開幕を1軍で迎えることはありませんでしたが、2軍の開幕戦には「3番・サード」でスタメン出場を果たしました。
その試合でタイムリーヒットを放ち、2軍ながらプロ初ヒットを記録しました。

その後しばらく2軍暮らしが続くものの、6月に1軍昇格を果たすと、6月21日に代打でプロ1軍初出場を果たしました。
結果は三振に終わり、惜しくも1軍での初ヒットを記録することはできず、その後すぐに再び2軍での生活が続くこととなりました。
プロ野球の世界ではよくあるような「記念お披露目」のような形であったようです。

その貴重なプロ初打席のシーンがこちら。

なんとも初々しい感じがしますね。
そして打席での緊張感も伝わってくる感じがします。満員の東京ドームでのプロ初打席。
注目を一斉に浴びるあの打席は、きっと打席に立つだけで精一杯だったのではないでしょうか。

一方2軍では高卒ルーキーとしては申し分ないような成績を残し、結果として、打率.238、17本塁打、56打点、16盗塁の成績を残しました。
打率こそ低いものの、持ち前の長打力と大柄な体格ながら俊敏性のある脚力をアピールした1年目であったようです。

プロ入り2年目も、長く2軍暮らしが続き、1軍という分厚い層に割って入ることがなかなかできない1年となりました。
この年も6月に一時的に1軍に昇格し、ファーストのポジションでスタメンとして出場することがありましたが、結果はノーヒットに終わり、結果、プロ入り初ヒットは翌年以降に持ち越しとなってしまいました。

それでも2軍では1年目よりも活躍した成績を残し、打率.265、21本塁打、70打点を記録し、本塁打と打点ではリーグ2位の記録となりました。

プロ3年目も開幕1軍の切符を手にすることはできず、2軍スタート。
しかし、5月に1軍に昇格すると、途中出場ながらプロ初ヒットを記録し、これが決勝タイムリーとなる活躍をみせました。
しかし、その後は安定した成績を残すことができず、再び2軍へ舞い戻ることとなりました。

2軍でも本塁打の数が減少。1軍で成績を残すことができないことで悩んでしまったのか。それでも盗塁数は26まで伸ばし、足で魅せる活躍を残しました。
そしてこの年の秋季キャンプから、持ち前の打撃を活かすこと、そして優れた脚力を活かすために外野手へとコンバートすることとなりました。

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プロの世界では打つことはもちろん、守備も非常に重要になる世界。
ましてや、巨人が所属するセントラル・リーグはDH(指名打者)制度がないため、野手は打撃と守備の両方で高いレベルが求められます。

打撃の粗さがあった大田泰示選手ですが、それ以上に本人を悩ませていたのが、守備力の向上でした。
なかなか守備力でアピールができず、もがき苦しんでいた大田泰示選手にとっては、プロの世界で生き残るために必要なコンバートであったと言えるわけです。
結果、このコンバートが後々の開花へと繋がった理由にもなっています。

プロ4年目、外野手として初めて迎えたシーズンでしたが、この年は春先から1軍に帯同。
そして、自身初となる開幕1軍の切符を手にすることとなりました。

しかし、途中出場、そして結果を求められる巨人では、なかなか思うような成績を残すことができず、開幕直後早々に2軍へ降格。
その後は2軍暮らしが続くという、前年までと同じような形でシーズンを送ることとなりました。

しかし、秋口に再び1軍に昇格すると、自身初の猛打賞を記録し、お立ち台に上がるほどの活躍を見せ、プロ入り初本塁打を放つまでに成長しました。

翌年のプロ5年目も開幕1軍こそ掴んだものの、レギュラー獲得までには至らず、やがて2軍へ降格という、どうようの流れでシーズンを過ごし、2軍でも思うような成績を残すことができないシーズンを過ごしました。

この年のオフにこれまで背負ってきた背番号「55」から「44」に変更し、心機一転を図ることとなりました。
巨人という超人気球団という重圧、そして偉大な背番号である「55」という数字は大田泰示選手本人にとってとても大きな重圧であったのかもしれません。

実際、大田泰示選手には「55を返せ」「55を付けるな」といった心無い声が多くかけられていたそうで、大田泰示選手本人もかなりその苦しんでいたそうです。

その後は「55」の重圧から解き放たれたせいもあってか、徐々に1軍での出場機会を増やし、活躍する試合も多くなっていっていきました。

当初期待されていた打撃のみならず、代走要員としても自らのポジションを見つけ、時には本来の打撃力で、平成生まれでは初となる巨人の4番を務める試合もありました。

しかし、打撃面ではまだまだ粗さが残る部分が多く、レギュラー獲得までには至りませんでした。結果、1軍と2軍を行ったり来たりするシーズンを多く過ごすこととなりました。

そして迎えたプロ入り8年目のオフ、2対2の交換トレードにより、北海道日本ハムファイターズへ移籍することとなりました。
まさにこのトレードが大田泰示選手のプロ野球人生を大きく変えるトレードとなったわけです。

移籍1年目は怪我の影響もあり、少々出遅れたシーズン当初でしたが、4月下旬には1軍に昇格。
巨人のように1軍での結果が早期に求められる環境ではないことも良いように影響したのか、徐々に本塁打を重ね、外野のレギュラーとして活躍するようになりました。
結果、この年にはプロ入り初となる規定打席の到達を果たし、1軍で初となる二桁本塁打、15本塁打を記録しました。

その翌年もレギュラーとしてシーズンを通して出場。
途中怪我で離脱することもあったものの、打率.274、14本塁打を記録し、走攻守でチームに貢献する活躍を見せました。

そしてプロ11年目となった2019年シーズンは、全球団からの本塁打を記録するなど、長打力にもさらに磨きがかかり、結果プロ入り初となる20本塁打を記録しました。

三振が多いことは巨人時代も北海道日本ハムファイターズに移籍してからも変わらない部分ではありますが、同じ「三振」でも、巨人時代では結果を求めるばかりで積極的に振れなかった部分も、北海道日本ハムファイターズでは逆に「思い切りの良さ」として、積極的に振れているのが大きな違いではないでしょうか。

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巨人時代にもがき苦しんだ苦悩の末、たどり着いた北の大地でようやく大輪の花を咲かせることとなったわけです。

大田泰示選手の嫁,結婚相手はどんな人?子供の画像は?

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引用:SPOBLO ~players file~

大柄ながらスタイルもよく、女性ファンも多い大田泰示選手。

実はあまり良く知られていませんが、大田泰示選手は巨人在籍時の2014年に結婚をしており、奥さんがいらっしゃるそうです。
お名前は「細江美沙貴」さんというそうです。

年齢などは公表されていませんが、もしかすると学生時代に知り合った方なのかもしれません。
また、巨人在籍時であれば、ファンや交友関係も広かったはずですから、知り合いを通じて結婚した可能性もありそうですね。

奥さんは一般の方ということなので、詳しい情報はありませんでしたが、北の大地で奥さんがしっかり支えてあげているのかもしれませんね。

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気になるお子さんに関する情報ですが、実はもうすでにお子さんはいらっしゃるそうです。
特に発表などはされてないようですが、イベントで小学生から質問を受けた際に、子供がいる、という発言があったようです。

お子さんに関する情報や画像などもあまり出ていないようですから、プライベートのことはあまり公表しないタイプなのかもしれません。

巨人時代に多くの注目を集めながら、なかなか活躍できなかったこともありますから、もっと活躍して生活が安定してきたら、プライベートに関する情報も出てくるかもしれませんね。

もしくは、女性ファンが多くいることを考え、その女性ファンに対する気遣いなのかもしれません。

大田泰示選手の髪型がかっこいいと評判!美容室はどこ?

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引用:ファイターズ王国

北海道日本ハムファイターズのイケメン番長とも言われている大田泰示選手。
巨人時代には球団の制約も厳しく、髪型などもあまり特徴的ではなかった大田泰示選手。
どちらかというと「丸刈り」のイメージが多かったのですが、北海道日本ハムファイターズに移籍してからは、そのイメージが激変。

きれいな茶髪に目まで覆われるような長髪。そしてサラサラヘアーが特徴的となっています。

北海道日本ハムファイターズはかつてから「イケメン」と呼ばれる選手が多く、女性ファンが多い球団として有名です。
現在では同年代に球界を代表するイケメン・西川遥輝選手も所属しており、かつてはダルビッシュ有選手や稲葉篤紀氏も在籍していましたから、
この「イケメン」の系譜は継がれているのでしょうね。

そして「巨人」「55番の期待」という大きな重圧から解き放たれ、北の大地で過ごすこととなった大田泰示選手はかなり精神的にも解放され、イメージチェンジを行なっているのかもしれません。
もしかすると、この「自由」というスタイルが大田泰示選手には合っていたのかもしれませんね。

そんな大田泰示選手の「サラサラロングヘアー」は一体どうやって保っているのか、その美容室はどこなのか。という声が多く挙がっているようです。

実際に調べてみると、大田泰示選手が通っている美容室の方のInstagramの投稿がありました。

さらにこの美容室の所在地を調べてみると、やはり北海道日本ハムファイターズの本拠地がある札幌の美容室に通っていることが分かりました。

そしてこの美容室はなんと、北海道日本ハムファイターズの選手御用達の美容室であることが分かりました。
この美容室の方のInstagramで、他の投稿を見てみると、松本剛選手や、宮西尚生選手、中島卓也選手、そしてかつて北海道日本ハムファイターズに在籍していた大野奨太選手や岡大海選手なども通われているそうです。

まさにこの美容室は北海道日本ハムファイターズの「イケメン軍団」を支えている美容室と言っても過言ではなさそうですね。

それにしてもかなりなかなか腕の良さそうな美容師の方です。

大田泰示選手のご飯姿!白米を食べている姿が可愛いと評判!

今でこそ、北海道日本ハムファイターズの「イケメン番長」として君臨している大田泰示選手。
ですが、巨人時代には、ある写真が「かわいい」と評判になっていました。

その写真がこちら。

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引用:ファイターズ王国

丸刈り姿で笑顔で白米を頬張る大田泰示選手。
まさに「高校球児」のような姿で、印象の良い青年の姿、といった感じでしょうか。

現在でも、イケメンとして話題になる度に、この写真もネット上に上がり「大田泰示選手といったらこっち」「こっちでこそ大田泰示選手」といった意見も多く聞かれます。

これほどまでにイメージチェンジをした野球選手もそうそうなかなかいないですが、大田泰示選手には、本来の力を北の大地でこれからも発揮して、北海道のスター、そしてイケメン番長として君臨し続けられるよう、
プレーの面でも活躍に期待したいですね!

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