長い日本プロ野球界において、欠かすことができないのは助っ人外国人の活躍です。
特に2000年代には、球史にインパクトを残した助っ人外国人が数多くいました。
そんな助っ人外国人の一人であるロベルト・ペタジーニ。
巨人のスターであった松井秀喜との本塁打王争いや、助っ人外国人ではバース以来の三冠王の可能性まであった、強打者のペタジーニ。
当時、巨人人気が絶世の中で、まさに「ヒール」的な活躍を残したペタジーニですが、グラウンド外でも話題の絶えない選手でした。
特に私生活では年の離れた奥さんとの結婚や、その愛妻ぶりはスポーツニュースだけではなく、バラエティ番組でも取り上げられるほど。
まさにプレー以外でも日本国中に強烈なインパクトを残したペタジーニですが、今現在はどのような生活をしているのでしょうか。
噂では、その奥さんと離婚したという情報もあったため、今回はそんなペタジーニの現在の生活について紹介していきたいと思います。
ロベルト・ペタジーニの経歴・成績・出身地・プロフィールについて
ロベルト・ペタジーニは、1971年6月2日生まれの48歳。(2020年5月現在)
身長185cm、体重84kgというプロフィール表記ですが、現役を引退した今は体重が増えているかもしれません。
ベネズエラのヌエバ・エスパルタ州出身で、ベネズエラにある小さな島で生まれました。
ベネズエラは野球が盛んな国であり、WBCでも強豪国として有名となっています。
そんなベネズエラ出身の助っ人外国人は数多く、ペタジーニと時を同じくして日本プロ野球界で活躍していた、アレックス・ラミレス(現・横浜DeNAベイスターズ監督)やアレックス・カブレラもベネズエラ出身。
現在では、エルネスト・メヒア、ホセ・ロペスなどが日本プロ野球界で活躍しています。
ロベルト・ペタジーニはベネズエラのアントニオホセ大学を卒業した後、
1990年にメジャーリーグのヒューストン・アストロズと契約をし、プロ入りを果たしました。
そして数年間のマイナー生活を経て、1994年にメジャーデビューを果たしました。
しかし、このメジャーデビューを果たした年は、わずか8試合の出場に留まり、オフにはトレードにより、サンディエゴ・パドレスへ移籍することになりました。
サンディエゴ・パドレス移籍後は、多くの試合で起用されるようになり、結果89試合に出場しました。
しかし、打率.234、3本塁打という成績に終わり、またまたこの年のオフにニューヨーク・メッツにトレードで移籍することになりました。
ニューヨーク・メッツでは、パドレス時代ほどの出場機会を得ることが出来ず、3年間で7本塁打を放つまでに留まりました。
そして、1998年には自身3度目となるトレードにより、シンシナティ・レッズへ移籍することになりました。
メジャーデビューから4球団を渡り歩くという、目まぐるしく変わる環境の影響もあってか、このシンシナティ・レッズでも活躍することができませんでした。
マイナーとメジャーを行ったり来たりする「1軍半」のような選手にはよくあることですが、ペタジーニもアメリカではそのうちの一人であったということです。
そんな中、日本球界のスカウトの目に留まり、1998年の12月にヤクルト・スワローズに入団。
実は、その前年には中日ドラゴンズも獲得を検討していたそうです。ペタジーニが広いナゴヤドームを本拠地とした時の世界線も今となっては見てみたかったですね。
そんな裏話もあるペタジーニですが、来日1年目は助っ人外国人によくある「日本球界の壁」にぶち当たっていました。
初年度から活躍していたため、環境順応の苦悩はあまり見られなかったように思えますが、ペタジーニも苦労したシーズンを過ごしていました。
チームからの期待も大きく、開幕から4番を任されたペタジーニですが、4月終了の成績は、打率.224、9本塁打という成績でした。
本塁打こそ多く放っていましたが、打率の低さから確実性に欠ける「一発屋」という印象が強い選手でした。
しかし、ここからが最強助っ人外国人の一人となったペタジーニの始まりでした。
5月以降は人が変わったように打ちまくり、前半戦終了時点では打率.324、26本塁打と打ちに打ちまくり、オールスターにも出場を果たしました。
ここから巨人のスター選手であった松井秀喜の最強のライバルとして立ちはだかり、松井秀喜との本塁打王争いを演じました。
夏場以降も、外国人特有の「得意な季節」であることを活かしながら、活躍を続け、シーズン終了時の結果として、打率.325、44本塁打を放ち見事、本塁打王を獲得しました。
来日1年目での本塁打王という部分に目が行きがちですが、ここでピックアップしたいのが、3割をゆうに超える高打率を残したことです。
本塁打のイメージが強いペタジーニですが、日本球界在籍中は、ほとんどのシーズンで高打率を残していた「ヒットメーカー」でもあったのです。
この来日1年目での「3割・40本塁打」という成績は日本球界では初の快挙であったことからも、その成績の凄さが分かります。
翌年以降もヤクルト・スワローズの主砲として活躍をし、来日2年目には全試合に出場し、36本塁打を記録。
来日3年目には39本塁打をマークし、自身2度目となる本塁打王を獲得しました。
来日4年目も巨人・松井秀喜との本塁打王争いを演じるものの、惜しくも2年連続、3度目の本塁打王とはならず、その座を松井秀喜に譲ることとなりました。
そしてこの年のオフにヤクルト・スワローズとの契約更改がまとまらず、結果、ペタジーニはヤクルト・スワローズを退団することとなりました。
自由契約となったペタジーニは、数々の球団による争奪戦へと発展しました。
その結果、ペタジーニと本塁打王争いを演じていた松井秀喜がメジャー移籍したこともあり、年俸7億2,000万円という破格の条件を提示しや読売ジャイアンツへ入団することとなりました。
この頃の巨人は「金満球団」という名にふさわしいほど、他球団選手を破格の高条件で「横取り」するケースが多く見られていましたが、その最たる例としてペタジーニも挙げられています。
読売ジャイアンツへの移籍1年目は、ペタジーニの主戦場であったファーストのポジションには清原和博がいたこともあり、外野手とし出場をしていました。
しかし、慣れない外野守備や、前年から発症していた膝の故障もあり、5月には登録を抹消されることとなってしまいました。
その怪我の影響や、起用も難しくなってしまったため、試合出場は100試合の出場となったものの、打撃面では変わらずの好成績を残し、打率.323、34本塁打を記録しました。
巨人移籍2年目は、ペタジーニの主戦場であったファーストのポジションで、清原和博と併用される形で出場することとなりました。
結果、清原和博が怪我で戦線離脱したこともあり、117試合に出場。前年を上回る試合数に出場したものの、ペタジーニ自身も膝の怪我が癒えておらず、
成績としては、打率.290、29本塁打に留まりました。この年にヤクルト・スワローズ入団時から続いていた「3割・30本」の連続記録も途絶えることとなりました。
そして、この年のオフに、戦力構想外として、ペタジーニは巨人を離れることとなりました。
日本球界を去ったペタジーニは、アメリカに戻り、ボストン・レッドソックスに入団。
マイナーでの調整を経た後、8月にメジャーリーグへ復帰を果たしました。
しかし持病の影響のせいか、なかなか成績が上がらず、結果この年のオフに解雇されることとなりました。
その後、すぐにシアトル・マリナーズとのマイナー契約を結びますが、ここでも結果を残すことが出来ず、この年で現役引退を発表しました。
その後、現役引退を発表したペタジーニは再び動き出し、メキシカンリーグで現役に復帰。
そして、その活躍から韓国球界からお声がかかり、韓国のLGツインズと契約を結びました。
LGツインズ入団後は4番打者として活躍し、68試合で7本塁打を放ち、移籍2年目には26本塁打、100打点を記録しました。
ちなみにこの100打点はLGツインズ史上初の快挙であり、ペタジーニは日本球界だけではなく、韓国球界にも名を残した選手となりました。
しかし、この年のオフにペタジーニ側が高年俸を要求したことから交渉が決裂し、結果LGツインズを退団することとなりました。
LGツインズ退団後、なんと福岡ソフトバンクホークスが獲得を電撃発表し、6年ぶりの日本球界復帰を果たしました。
この年に福岡ソフトバンクホークスは優勝を果たし、優勝に貢献した選手のひとりとなったものの、成績は81試合の出場で10本塁打と全盛期ほどの成績とは程遠い活躍だったとして、
福岡ソフトバンクホークスとの契約更改には至らず、退団することとなりました。
結果、ペタジーニはこの年限りでの現役引退を再び発表し、野球選手人生に幕を下ろしました。
ペタジーニの現在の嫁は?
引用:スポニチ
冒頭でも紹介したとおり、ペタジーニには、年の離れた奥さんがおり、その馴れ初めからメディアを賑わせていました。
そんなペタジーニについて、2019年頃にある噂が突如として、出てきました。
それは「ペタジーニは離婚をして、21歳の女子大生と不倫をしている」という内容でした。
この噂は現在でも多く飛び交っており、それを真実として扱うサイトも多く出ているようですが、
結論、この噂は嘘であったようです。
この噂が出たことにより、日本のテレビ番組が実際にペタジーニに取材をしに行き、真相を確かめていましたが、現在も変わらない生活を送っていると紹介されていました。
海の向こうの情報は、時より正確に伝わらないことや、妄想した話が真実のように語り継がれてしまうこともあることから、どこかで情報が錯綜したのかもしれません。
とにかく、この噂は嘘であると証明されているようです。
ペタジーニの嫁・オルガ夫人と離婚・再婚の噂について
実に25歳も年の離れた妻であるペタジーニの妻・オルガ夫人。
友達のお母さんであったオルガ夫人に一目惚れしたペタジーニが求婚を続け、実らせた愛という関係に、日本のメディアは時に大きく取り上げていました。
そんなオルガ夫人との仲についてですが、先程の女子大生との噂と同じように、
オルガ夫人とは離婚をした。そしてその後再婚をした、という噂も出てたようです。
この噂についても前述のテレビ番組の取材でペタジーニ自身が否定をしており、今でもオルガ夫人と仲良く過ごしていると話していました。
なお、ペタジーニは現在、プール付きの豪邸に住み生活をしており、仕事はしていなく、現役時代の貯金で優雅に生活をしているとのことです。
球界最高年俸とも言われた破格の年俸を余生に充てているなんて、本当に羨ましい限りですね。
ペタジーニの子供は?
引用:「裏」ネタ
ご紹介の通り、ペタジーニは「自分の友だちのお母さん」と結婚していますから、ペタジーニの義理の息子は、ペタジーニの友達にあたります。
年の差も大きいことから、ペタジーニとオルガ夫人の間にはお子さんはいらっしゃらないですが、この友達でもある義理の息子には、家をプレゼントしてあげたそうです。
2000年代に球界、そして日本メディアを賑わせたペタジーニは、今でも幸せで優雅な生活を送っているようでした。