プロ野球には「一芸」で名を馳せた選手が数多くいます。
「打って稼ぐ」「投げて稼ぐ」はもちろんのこと、守備の名手と呼ばれる選手は「守備だけでも見る価値がある」「守備で金が稼げる選手」とも言われています。
そして忘れてはならないのが「足」。俊足を飛ばしてグランド狭しと駆け回る選手も数多く存在し「足で稼げる選手」は長いプロ野球の歴史の中では数多く存在しています。
近年では、福岡ソフトバンクホークスの周東佑京先週は、その快足で日本代表のメンバーにも選ばれ、今や球界屈指の俊足の持ち主として、まさに「足で稼ぐ」選手となっています。
そんな「足で稼ぐ」選手として忘れてはならない、伝説の選手がいました。
その選手とは、阪急ブレーブス(現・オリックスバファローズ)で活躍した福本豊氏です。
通算盗塁数とシーズン最多盗塁数の日本記録保持者で、まさに前人未到、今後もこの記録は誰も破れない、といった驚異的な記録の持ち主で、
「世界の福本」「世界の盗塁王」との異名をもつ方です。
今でも俊足の選手が登場するたびに、福本豊氏のもつ記録がクローズアップされるほど、現代にも語り継がれている伝説のプロ野球OBです。
今回はそんな「伝説的」な選手であった、福本豊氏について紹介をしていきます。
福本豊氏のプロフィール・出身地・経歴・成績について
福本豊氏は、1947年11月7日生まれの72歳(2020年2月現在)。
身長169cm、体重68kgで、プロ野球選手としては、かなり小柄な方ですが、まさに体格が表す通り俊足の持ち主として活躍しました。
大阪府大阪市生野区出身で、小学3年生のときに初めて野球と出会いました。
中学校時代は、準硬式野球部に所属。補欠としての時期が続きましたが、3年生のときに初めてレギュラーの座を掴みました。
高校は地元の大鉄高等学校(現・阪南大学高等学校)に進学。
1年生の時から監督の目に留まり、ライトのポジションでレギュラーの座を掴みました。
2年生からは中堅手に移り、打順も1番固定で出場するようになりました。
そして3年生の夏の大会で夢の甲子園大会への出場を果たしました。
しかし、1回戦で敗退し、甲子園優勝の夢はかないませんでした。
高校卒業後は、大学進学をせず、社会人野球の道を選択しました。
松下電器(現・パナソニック)に入社後も1年目からレギュラーとして出場。
社会人3年目のときに出場した都市対抗野球大会では、2番打者として活躍し、見事優勝しました。
福本豊氏はこの大会でベストナインを活躍しましたが、プロ野球のスカウトからはそれほど注目される存在ではありませんでした。
やはりこの頃から、小柄な選手は活躍しづらいというレッテルが貼られており、活躍できても社会人までであり、プロの世界では難しいだろう、と評価されていたようです。
しかし、1968年のドラフト会議で、阪急ブレーブスから7位で指名を受け、プロ野球選手としてのスタートを切りました。
当時の阪急ブレーブスの監督であった鶴岡一人監督は獲得に後ろ向きであったようですが、他首脳陣の決定などにより、獲得に至ったようです。
この監督の一存で獲得が見送られていたら「世界の福本」「世界の盗塁王」誕生はなかったかもしれませんね。
プロ入り後はドラフト7位ということや、小柄な選手であったために周りからも全く期待はされていなかったそうですが、そんな評価もなんのその。
地道にアピールを続け、1年目から1軍での出場を果たしました。
1軍での初出場は、福本豊氏らしく「代走」での出場でした。このときに早速盗塁を試みるも、あえなく刺され盗塁死という結果でした。
後に「世界の盗塁王」とも呼ばれる福本豊氏のプロ初出場の結果は「盗塁死」であったというのも、ある意味伝説かもしれません。
その後、ダブルヘッダーで行われた初出場の次の試合で、同じく代走で出場した福本豊氏は見事盗塁を決め、プロ入り初盗塁を記録しました。
しかし、この頃の福本豊氏の盗塁技術はまだ粗く、加えて小柄ゆえの非力もあり、程なくして2軍行きを命じられる結果となりました。
打撃練習を行った福本豊氏は、プロ2年目で本塁打を8本打つなど、打撃面で大きく開花をしました。
そして1970年にはレギュラーに定着し、この年にはシーズン75盗塁という、現代ではありえないような大記録を残し、盗塁王のタイトルを獲得しました。
極めつけは、1972年、シーズンとして伝説的な記録である、106盗塁を記録しました。
結果、このシーズンで福本豊氏は盗塁王とシーズンMVPを獲得し、プロ野球のスター選手の仲間入りを果たしました。
1977年には、プロ野球の通算最多盗塁を塗り替え、日本プロ野球史上最も盗塁をした選手となりました。
その後も、1982年まで13年連続で盗塁王を獲得するなど、福本豊氏の足を止められることはありませんでした。
結果、この数多くの盗塁でチームを牽引し、6度のリーグ優勝と3年連続の日本一を勝ち取りました。
まさに「阪急黄金時代」を築いた選手の一人でした。
1983年には、当時のメジャーリーグの最多記録でもあった通算盗塁数を上回る939盗塁を記録し「世界の盗塁王」としてその名を轟かせました。
そしてこの年に通算2,000本安打も記録し、名球会入りを果たしました。
しかし、福本豊氏の足も次第に衰えを見せ始め、この年の盗塁王の獲得とはなりませんでした。
その後は右肩の負傷などもあり、スタメンを他の選手に譲ることも多くなりました。
1989年、阪急ブレーブスの身売りとともに、上田家督の言い間違いから、福本の引退が取りだたされる結果となり、監督の発言を真に受けた福本はこの年で現役を引退することとなりました。
引退後は身売り後のオリックスの一軍打撃コーチに就任し、1990年からの2年間は二軍監督として指揮を執りました。
そしてコーチ業を離れた後はプロ野球解説者として活躍しました。
その後、1998年には阪神タイガースの一軍打撃コーチとしてグランドに復帰し、1999年には一軍外野守備走塁コーチを務めました。
2000年からっは再びプロ野球解説者に復帰し、2006年には阪南大学の特別コーチにも就任し、アマチュア野球の指導にもあたりました。
現在もプロ野球解説者として活躍しており、世界の盗塁王として現代の野球を、独特な口調で解説をし、人気を呼んでいます。
福本豊氏が残した伝説的な名言とは?
引用:OSAKAINFO
福本豊氏は現役時代から「過激」とも受け取れる発言でお茶の間を賑わせて来ました。
ここでは、福本豊氏が残した伝説的な名言や語録などについて紹介していきます。
現役時代には、巨人と戦った日本シリーズで3連勝したときに「近鉄もロッテも阪急と戦えば1つは勝てる」という発言が、このシリーズで未勝利であった巨人に対しての侮辱的発言であったとされ、非難を浴びました。
福本豊氏の名言は、プロ野球解説者としての試合解説で数多く生まれました。
・アナウンサーに「今のホームランの解説をお願いします」と振られた時には、
「シュッ!カキーン!ビューン!」といった擬音のみで解説?を行った。
・ノックアウトされた投手が3人並んで座っている映像を見た福本豊氏が「あん・ぽん・たーん」と表現。
・阪神が大型連敗を脱出した際には「オセロならひっくる返る」
・移籍した選手の変化した点を聞かれた際には「ユニホーム」が変わったと発言。
・マウンドにいる投手の攻略法を聞かれた際には「知らん!対戦したことないもん!」と発言。
・ナゴヤドームで勝てない阪神に対して「屋根があるから」と発言。
などなど数々の名言を残しました。
福本豊氏は技術的な解説をする、という解説者タイプではなく、関西のプロ野球解説者に多い「根性論」であったり「思ったままを発言する」というスタイルで解説を行っていました。
もはや「解説」とはなにか、という意味を問いたくなるようなものも多々ありましたが、これも関西という土地柄においては、非常にウケが良かったのかもしれません。
福本豊氏の子供や家族について
スポンサーリンク福本豊氏のお子さんやご家庭事情はどうなのでしょうか。
福本豊氏の活躍をみていると、非常に気前がよく、気さくなお父さん、おじいちゃんという印象ですが、実際はどうなっているのでしょうか。
奥さんは一般の方で、松下電器(現・パナソニック)時代に結婚をされていたようです。
奥さんは、とても「天然」な方のようで、福本豊氏の職業について、よくわかっていなかったようです。
阪急に入団した際も「阪急電鉄」に就職していると勘違いをしていて、阪急電鉄の駅を探し回ったそうです。福本豊氏も「松下(パナソニック)から阪急に転職する」と伝えたためにこの勘違いを生んでしまったのかもしれませんが、
野球をやっていた福本豊氏を知っていれば、理解もできたかもしれません。福本豊氏のお子さんについての情報はありませんでしたが、きっと幸せな家庭を築き、福本豊氏の年齢を考えるとお孫さんもいらっしゃるのかもしれませんね。
福本豊氏と「たこ焼き」の噂について
引用:野球まとめに自信ニキ
福本豊氏を調べると、しきりに「たこ焼き」とのフレーズをよく目にします。
確かに福本豊氏は大阪府出身ですから、たこ焼きとは密接な関係があるのかもしれませんが、どうして「たこ焼き」なのでしょうか。調べてみると、実はこれも福本豊氏の名言の一つでした。
中には「たこ焼き屋を経営している」と間違って認識している方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではありませんでした。では、この福本豊氏の「たこ焼き」に関する名言は一体どのようなものだったのでしょうか。
この発言は1992年、福本豊氏がプロ野球解説者として解説を行っているときに発言されたもので、
0-0のまま延長戦に入った試合経過の感想を聞かれ、そのスコアボードを見た福本豊氏が「たこ焼きみたいやな」と発言したものが話題となり、今日まで語り継がれているようです。ちなみに結果、この試合は阪神がサヨナラ勝ちを収めたのですが、その試合終了のスコアボードを見た福本豊氏は最後に「たこ焼きにつまようじがついた」と表現しました。
この発言までは、福本豊氏の解説にそれほど注目が集まっていたわけではなかったようですが、この発言を機に、福本豊氏の解説に注目が集まり、前項で紹介した名言が数々生まれました。福本豊氏は韓国籍?
福本豊氏にはどうやら「韓国籍」ではないか、という噂が広まっているようです。
その真偽について調査してみました。調べてみたところ、福本豊氏が「韓国籍である」という情報はありませんでした。
この噂は過去に福本豊氏が「国民栄誉賞」の表彰を断ったことから、日本籍ではないからではないか、という噂が広まったようです。確かに大阪には「在日」と呼ばれる韓国籍の方が多くいる傾向であることからもそのような噂が広まったのかもしれませんが、
国籍も調べず国民栄誉賞の表彰を打診するとは考えづらく、韓国籍ではない可能性が高いです。世界の盗塁王には、今後も「伝説的」な名言を生んでもらい、プロ野球中継の視聴者の「心」を盗んでいくような面白い解説にも期待したいですね。