中日ドラゴンズ

板東英二は今現在は?嫁/妻,自宅や伝説の記録についても調査!!

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プロ野球を引退した人たちの多くは、引退後、解説者となり、プロ野球を俯瞰した後にコーチや監督などに就任するケースが多く見られます。
しかし、こういった現場復帰できるケースは限られており、現役時代に一定の活躍をした選手がほとんどです。

その他は、地元の社会人チームや高校、中学などといったアマチュア指導を行うケースも多く見られます。

しかし、一昔前まで多かったのが「芸能界」への転身でした。
最近では引退後のプロ野球選手の芸能界活躍というケースは多く見られませんが、80年代から90年代にかけては、
プロ野球を早々に引退した選手が芸能界で活躍するケースが多く見られました。

そんなプロ野球界から芸能界への「華々しい転職」を成功させた先駆者のひとりと言えるのが、板東英二氏。

今や、プロ野球で歩んできた現役生活より、芸能活動の方が長くなっている板東英二氏。
今の若者は、板東英二氏が元プロ野球選手であることを知っている人は意外と少ないのかもしれません。

今回は、そんな今でも芸能界で活躍を続ける、元プロ野球選手の板東英二氏について紹介していきます。

板東英二氏のプロフィール・出身地・経歴・成績について

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引用:JIJI.com

板東英二氏は、1940年4月5日生まれの79歳(2020年1月現在)。
公式では4月5日となっているのですが、板東英二氏いわく3月31日だったそうです。
この違いについては、高校時代にエピソードがあるので、後ほどご紹介します。

身長179cm、体重70kgと公表されているのですが、その数値よりもややふくよかな印象があります。

満州(現・中国)の虎林出身で、5歳のときに、兵庫県神戸市に住まいを移したそうです。
これもあまり知られていない事実かもしれませんが、板東英二氏の生まれは中国だったんですね。

兵庫県神戸市に住まいを移した後、すぐに徳島県板野郡板東町に引っ越しをして以降は、この地で暮らしていました。
中学校の時には、バレーボール部に所属していたそうですが、中学2年生のときに、先輩からの誘いがあり、野球を始めたそうです。

これが野球を始めたきっかけだとすると、随分と遅い野球デビューといえるかもしれません。
中学3年生のときには、エースとして活躍するようになったそうです。

高校は地元・徳島商業高等学校に進学し、高校時代から、投手として活躍しました。
先程ご紹介した「誕生日の違い」については、この高校生時代に発生したそうで、誕生日が3月31日であると、高校の野球連盟の規則では出場規制の対象となってしまっていたそうです。
従って、この規制対象を外すために、わざわざ裁判所まで出向き、誕生日を4月5日に変更したそうです。

2年生の秋からチームの主将に就任し、迎えた3年生の春の大会ではエースとして活躍。
地方予選から一人で投げ抜き、延長16回を完投した翌々日に延長25回を投げ抜くなど、無尽蔵のスタミナを発揮していました。

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今の御時世では、社会問題にも発展しかねないような酷使ですが、この時代でも大きなニュースとなっていたそうで、全国の高校野球ファンからも注目される存在となったようです。

そして夏に全国甲子園大会に出場。
この夏も板東英二氏は大熱投を続け、延長再試合なども行いながら、決勝まで進出。惜しくも敗れてしまいましたが、準優勝という輝かしい成績を残しました。

板東英二氏は、高校卒業後は大学進学を希望し、慶応大学のセレクション(野球試験)に合格していたものの、家庭の事情により、プロ入りをすることを決意したそうです。
おそらく、幼少時代から家庭はあまり裕福な方ではなかったために、稼ぎが必要だったのかもしれません。

結果、プロ入りを決意した板東英二氏は中日ドラゴンズに入団することとなりました。

入団2年目には、オールスターゲームに監督推薦で出場し、入団3年目には開幕投手も務めるなど、プロ入り後すぐに活躍しました。
その後は中継ぎ投手としても活躍していましたが、1968年に右肘を痛め、戦線を離脱。

結果、右肘の軟骨を除去する手術を受けたそうです。
今ではよく聞くような手術ですが、この当時はプロ野球選手では過去に前例がない手術であったそうですが、この年には一軍へ復帰しました。

しかし、手術後は思うような成績を挙げることができず、1969年にはコーチの打診を受けるなどもあり、現役を退くこととなりました。

結果、板東英二氏はプロ通算11年間で、77勝65敗という成績で終わることとなりました。
甲子園を沸かせたスターとしては、なかなか寂しいような結果で現役を終える事となりましたが、今を思えば、これが甲子園スターの宿命なのかもしれません。

引退後は、コーチ就任の打診やスカウトの打診を受けましたが、人事的な折り合いなどもあり、固辞したそうです。
結果、CBC(中部日本放送)の野球解説者として、第二の人生を歩み始めました。

結果、この「野球解説者」の就任が、今日まで続く板東英二氏の「芸能生活」の始まりだったのかもしれません。

次第に解説者だけではなく、ラジオのワイド番組にも出演するようになり、次第に芸能活動の幅を広げていきました。

しかし、1979年にはラジオで解説していた内容が、解説として相応しくないとされ、抗議が殺到。
おまけに巨人のサインを見破った解説などを行っていたことが、火に油を注ぐような結果となり、解説者を降板。

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全く関係のない昼のワイド番組も降板させられることとなり、CBCでの仕事が激減。芸能活動の拠点を関西へと移したそうです。

関西に芸能活動の拠点を移してからは、この「芸能活動」が本格化。
当初は素人並の話術で、巧みな話術が必要とされる関西では、なかなかの苦戦を強いられたそうですが、漫才などにも挑戦し、次第に話術にも磨きがかかるようになりました。

そして、関西でテレビのレギュラー番組のメインMCとして抜擢。その後も数々のレギュラー番組に出演し、クイズ番組「マジカル頭脳パワー」への出演をきっかけに、その名を全国区に広げていきました。
近年まで「世界ふしぎ発見!」にもレギュラー出演していた事で、クイズタレントとしての地位を確実にしていきました。

その後は好物である「ゆで卵」との抱合せでモノマネをされることも増え、「ゆで卵=板東英二氏」というイメージを定着させました。

しかし、2012年に約7,500万円の所得隠しが発覚したことで芸能活動を休止。
そのときに出演していたテレビ番組を降板することになりました。

約1年間の活動休止を経て、徐々にテレビ番組への出演も増加していきました。
最近では「水曜日のダウンタウン」での検証企画において、過激な発言なども注目を浴び、まだまだ衰えを感じない姿を見せています。

板東英二氏の今現在は?2020年の最新情報!

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引用:have a good job

芸能界での活動を続けている板東英二氏。2012年の所得隠し問題が発生するまでは、レギュラー番組も多くあったことから、毎週のようにテレビに出演していましたが、
この所得隠し発覚後は、メディアの露出が減っているようです。

年齢も高齢になってきていることで、健康状態も心配される板東英二氏ですが、今現在はどうしているのでしょうか。

板東英二氏は今現在でも芸能活動を続けており、ピークほどではないものの、テレビ出演もされているそうです。

最近では「水曜日のダウンタウン」という番組で、検証企画を実施。
子供にもらった松ぼっくりをその後どう扱うか、いった趣旨の企画で、板東英二氏はすぐにその松ぼっくりを破棄。
検証終了後には、以前の出演シーンの放送度合いが気に食わないとし、放送に関する誓約書と違約金の発生を求めるなど、過激なシーンが話題となりました。

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スタジオや視聴者からの声でも「信じられない」といった声が続々と出ており、板東英二氏のイメージが変わってしまうほどの内容でもありました。

裏を返せば「今でも元気に振る舞える」ということで、病弱ではないことはわかりましたが。。。
かなり衝撃的な現在の姿であったことに間違いはありません。

板東英二氏の嫁/妻の実家が話題?死去について

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引用:grape

板東英二氏は、既婚であり、奥さんがいます。
奥さんは一般女性であるそうですが、この奥さんはただの一般女性ではなかったそうです。

なんと奥さんの実家は、東京都・成城という高級住宅街エリアで約1,000坪もある大豪邸に住んでいるご実家のお嬢さんであったそうです。
なんでも安川財閥という大金持ちの曾孫にあたるそうで、これほどのお金持ちであったそうです。

しかし、その奥さんは2018年に死去しているそうで、板東英二氏は今単身生活を送っているようです。
申告漏れ騒動の際には、自殺も考えたという板東英二氏。そんな板東英二氏を支えた奥さんが亡くなってしまっては、寂しさが募るばかりかと思います。

テレビでの歌劇発言の裏には、こういった寂しい現実があるのかもしれません。

板東英二氏の自宅は?

死別してしまった奥さんと離れ、単身で生活をしている板東英二氏。自宅はどこにあるのでしょうか。
現在も大阪や名古屋、東京での仕事がある板東英二氏は、大阪と名古屋にマンションを持っているようです。

東京は出張のようになっていることと思いますが、少なくとも自宅が2つもあることは成功者と言ってよいのかもしれませんね。

ただ高級マンションに一人暮らしは、さすがに寂しさもあるでしょうから、2人の娘さんも板東英二氏のそばにいてあげてほしいですね。

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板東英二氏が残した数々の記録とは?

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引用:中日ドラゴンズアンテナ

板東英二氏は実は数々の伝説的な記録を残していることで有名な選手でした。

ここでは、板東英二氏が残した伝説的な記録をいくつか紹介していきます。

板東英二氏の伝説記録は中学の時から始まっていました。
中学時代には、前述の通りエースとして活躍し、中学3年生の時には61連勝という前人未到な記録を達成していました。61連勝というと、きっと年間無敗と言えるほどの成績であったと想定されますね。

地方は力の格差が大きいですから、そういった大投手がいると、こういった成績も生まれるのかもしれません。

しかし、中学1年までバレーボールをしていた板東英二氏。野球を始めたのが中学2年生からでこの成績を残すのはすごい成長ですよね。まさにこれからの活躍を暗示するかのような怪物ぶりは中学生の時からあったようです。

そして高校時代にも数々の記録があり、決勝まで進出した甲子園大会では、秋田商業高等学校戦で17奪三振、八女高等学校戦で15奪三振、魚津高等学校戦との準々決勝では、延長18回引き分けの末、25個の奪三振を記録しました。
翌日の再試合では、腰の痛みを抑えるために、麻酔注射を打って登板。9奪三振を挙げ、当時の大会記録64奪三振を更新しました。
結果、1試合で25奪三振、1大会通算83奪三振の記録を保持し、未だに破られていません。
高校野球では、球数制限などの球児の保護が加速していることもあり、今後も破られない記録として残る可能性が大きいですね。

プロ入り後も、セ・リーグ史上初となる、投球1球での勝利投手になるなど、栄えある結果以外の意外な記録も残している板東英二氏。
今後の活躍も期待しますが、くれぐれも自身の体調と向き合い、無理のない生活を送ってほしいですね。

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