福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)の背番号15と聞くと野球ファンなら思い浮かぶ選手がいると思います。
「炎の15番」と呼ばれ、中継ぎ投手としてホークスのリーグ優勝に貢献した藤井将雄投手。
今から19年前の日本シリーズ直前10月13日に、福岡ダイエーホークスのリーグ優勝を見届けた後、この世を去りました。享年31歳。
その若すぎる死に多くの選手やファンは、言葉を失いました。
今回は、藤井将雄投手について書きたいと思います。王貞治監督や工藤公康監督との関係など、皆に愛された藤井将雄投手のエピソードを紹介します。
藤井将雄(ダイエーホークス)プロフィール・経歴・成績・出身地
https://www.nikkansports.com/baseball/column/bankisha/news/201810140000310.html
1968年10月16日生まれ、佐賀県唐津市出身、身長177㎝、体重77㎏
福岡市西区に生まれた藤井将雄投手ですが、両親の離婚により母親と佐賀県唐津市に姉と妹と共に転居しました。
女手ひとつで3人の子供を育てた母親。藤井将雄投手が17歳の時に父親が他界、26歳の時には姉を交通事故で亡くしてしまいました。
その年に念願のプロ野球入りを果たした藤井将雄投手は福岡ダイエーホークスにドラフト4位で入団。「王貞治監督を胴上げすると」入団会見で答えました。
入団してからは、先発投手を任されるも、なかなか成績が残せずに3年目に中継ぎへ転向をしました。
その後は右の中継ぎエースとして活躍。1999年には26ホールドを記録し、パ・リーグ最多ホールドを樹立しました。
この年、福岡ダイエーホークスはリーグ優勝を果たし、入団会見での言葉を実現した藤井将雄投手でしたが、この時くらいから病は藤井将雄投手の身体を蝕んでいたようです。
藤井将雄の死因とは
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この年の夏くらいから、マウンド上で咳き込む姿が見られるようになりました。登板も多く、疲れが出ていたのかと周囲も思っていたようですが、日本シリーズ前に検査を行い「余命3カ月の末期の肺がん」である事がわかりました。
この事実は藤井将雄投手には知らせる事はなく、「間質性肺炎」と偽った病名を伝えたと言われています。
本当の病名を聞いていたのは、家族と監督をはじめとするホークスの首脳陣の一部、フロントの上層部、チームメイトの一部にしか知らせていなかったようです。
中でも親友とも言われていた若田部投手は、この事実を聞かされ「嘘だろと思った」と語っています。
そんな最中の日本シリーズでは、中日ドラゴンズを破り35年ぶりの日本一となりました。その優勝パレードの翌日に入院をする事となった藤井将雄投手は入院を経て一時は回復し、二軍で登板できるくらいになるも6月に再入院となってしまいました。
この年の10月、ホークスはリーグ制覇を果たしV2を達成。その6日後に容態が急変し息を引き取りました。
藤井将雄は結婚していた?嫁、家族(妹、姉、母親)について
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/289219
藤井将雄投手は結婚はしていなかったようです。病気の告知をされた家族は、母親と妹さんだったようです。
姉も交通事故で亡くしている事を考えると、藤井将雄投手も若くして亡くなる事となり、母親と妹さんは本当に辛い思いをしたのではないでしょうか。
藤井将雄に子供はいた?娘も?
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藤井将雄投手は独身でしたので、子供はいなかったようです。
藤井将雄投手を検索すると、娘というキーワードが出てくるのですが、これはチームメイトで親友の若田部投手の娘さんをとても可愛がっていたからの事ではないでしょうか。
藤井将雄の葬儀
福岡は、風も弱くなってきました。
今日は、藤井投手の命日。
藤井さんのロッカーには、新しい花が。
藤井さんに日本一の報告ができるよう、見守ってて下さいね! #sbhawks pic.twitter.com/fW9OdpWBNr— 福岡ソフトバンクホークス(公式) (@HAWKS_official) October 13, 2014
10月16日の誕生日に葬儀が行われました。出棺の際に棺を担いだのは、ユニホーム姿の親友の若田部健一投手、とても慕っていた工藤公康投手、秋山幸二選手、城島健司選手、小久保裕紀選手、松中信彦選手といったホークスの選手たちでした。
火葬のあと、若田部投手と工藤投手は藤井将雄投手の右腕の遺骨を持ち帰ったそうです。
藤井将雄と王監督
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/10/14/kiji/20191014s00001173109000c.html
野球を続けられないと、生きる気力がなくなってしまうから、嘘でもいいから契約更改をして欲しいと家族に頼まれたという王貞治監督。
それを聞いた王貞治監督は、嘘ではなく契約更改をすると約束してくれたそうです。大切な選手を病気で失ってしまう形となった王貞治監督は、葬儀のあと「神様は時にむごいことをする。いい人ほど早く召されてしまう」と語っていたそうです。
人生とは多くの人にとって思い通りに運ぶものではないようです。人は多少なりとも問題を抱えているものですが、人並み以上に辛い時期を経験してしまった藤井将雄投手。
天国で今のホークスをどう見ているのでしょうか。
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