現役時代中日ドラゴンズや日本ハムファイターズ(現・北海道日本ハムファイターズ)で活躍し、引退後も日ハム監督として腕を振るった大島康徳さん。
引退後は解説者、指導者などを担い、野球界に大いに貢献している同氏ですが、野球以外にいくかの‘事件’がありました。そこで今回は彼のプロフィールと併せて様々な事例をご紹介していきたいと思います。
大島康徳(元日本ハムファイターズ監督) プロフィール(経歴,成績,出身地)
出典:https://www.iza.ne.jp/kiji/sports/photos/170208/spo17020810120022-p1.html
名前:大島康徳(ヨミ:オオシマヤスノリ)
生年月日:1950年10月16日
出身地:大分県中津市
身長:182センチ
体重:85キロ
投打:右投右打
経歴:大分県立中津工業高校-中日ドラゴンズ-日本ハムファイターズ
地元の大分県立中津工業卒業後、中日ドラゴンズの入団テストを受け、その後のドラフト会議で3位指名され入団。投手として入団したものの、打者としての才能を見抜いた首脳陣は、早々に野手へ転向させます。
入団してから数年は中々1軍での出場機会が無かったものの、徐々にチャンスを物にし、その打撃センスを遺憾なく発揮していきます。
しっかりと打撃成績を残していましたが、好不調の波が激しい為中々レギュラー獲得には至りませんでした。しかし打者として代打起用に応え、その後もチームで活躍。
37歳の時、トレードで日本ハムファイターズへ移籍。チーム事情(得点力不足)により先発出場が多くなった大島氏は主軸としてチームに貢献。39歳の時には2000安打を達成し、当時最年長記録となっていました。
43歳で戦力外通告を受け現役引退したものの、プロ入り9年目で初めて100安打以上を打った遅咲きの大島氏。最終的には2204安打を記録し、多くのファンの記憶に印象深く残っています。
引退後は解説者、指導者として活躍。現在は大腸ガンと戦いながら様々なジャンルで活躍しています。
大島康徳の息子は芸人の大島雅斗
秋元康さんと遂に対面か、、、
イチ男性元ガチヲタがここまで、、
緊張しまんなぁ!!
曲が決まらんすわ!!
明日までの提出なのに! pic.twitter.com/Ij86ijF75u— セパ 大島 雅斗 (@yasunori_musuko) December 17, 2019
大島康徳さんのご家族についても調査したところ、息子さんの雅斗さんはお笑いコンビ『セパ』の1人というのが判明しました。
この『セパ』の相方である伊東貴彦さんがは元西武ライオンズのキャッチャーで、監督も務めた経験のある伊東勤さんの甥ということで、この二人はプロ野球選手の血縁者同士でコンビを組んでいるという異例のコンビだそうです。
ちなみに雅斗さんは芸歴1年目の2015年にフジテレビ系バラエティ番組「アウト×デラックス」に出演。この時、「NMB48のメンバーと結婚するために大阪NSCに入った」と公言し、握手会に通うために借金をしていたことを父にカミングアウトして一時話題となりました。
大島康徳の嫁(結婚相手)について
大島さんは30代中盤までは独身で過ごしていましたが、36歳の時に10歳年下のなおみさんと結婚を果たしました。
馴れ初めは中日ドラゴンズ時代の同僚であった郭源治さんの紹介で知り合ったそうです。
郭源治さんの紹介とはとても意外ですが、大島さん本人は素敵な方を紹介されて嬉しかったでしょうね!
大島康徳 工務店のせいで欠陥住宅に!?
大島さんは1994年に5000万円を超える自宅を建てました。
しかしある建設会社に建築を依頼し完成したものの、大島さんの妻が「欠陥住宅ではないか?」と疑問を持ち始めます。
大島さんが引退し、家にいる時間が多くなってからは、さらに家が不具合だらけであることに気がつきます。洗濯機で家が揺れる、隙間風がひどい、雨音でテレビの音も聞こえない等、明らかな欠陥が露呈されました。
その後、様々な問題が起き、ハウスメーカーに修繕を依頼しましたが、対応が遅かったり、雑な修繕で応急処置を施されました。
そんなある日、ハウスメーカーが大島さんサイドを訴えるという訴訟に発展。5年半も続く裁判が続きましたが、結果的には大島さん側が納得いくような判決では無かったようです。
この時期大島さんは持病も抱えていたこともあり、妻に裁判関係をすべて任せていそうです。最終的には妻にも迷惑をかけたくないということで早めに裁判を切り上げるという苦渋の決断だったのです。
大島康徳の祭という愛犬
出典:https://www.hokende.com/news/blog/entry/ohshimayasunori/003
大島さん夫婦は長らく「祭」という愛犬を飼っていました。