読売ジャイアンツドラフト4位ルーキーの横川凱選手。
今年の夏の甲子園で話題沸騰であった強豪の大阪桐蔭高校のピッチャーで、身長190超えの大型左腕である。
大阪桐蔭高校にはスター選手が多く在籍していたが、今回はこの横川選手について紹介していこうと思う。
横川凱プロフィール(経歴、成績)
引用元:Promising選手名鑑
生年月日:2000年8月30日
出身地:滋賀県米原市
身長:190センチ
体重:82キロ
経歴:大東中学校-大阪桐蔭高-読売ジャイアンツ
滋賀県米原氏出身、現在18歳の横川選手は、父親の影響で小学校3年から野球を始め、中学時代は湖北ボーイズというボーイズリーグに所属し、中学3年の夏には「NOMOジャパン」でアメリカ遠征も経験したエリート選手だ。
※「NOMOジャパン」とは、正式名称は「ジュニアオールジャパン」という名称で、ボーイズリーグの代表で編成された日本代表チームであり、そのチームの総監督を野茂英雄氏が務めていることから「NOMOジャパン」と呼ばれている。
この全日本代表チームで同じチームメイトだったのが、後に同じ高校へ進学した大阪桐蔭高校の根尾昴選手である。ここで根尾選手が「右のナンバー1」と評されていたの対し、横川投手は「左のナンバー1」と評されていたのだ。
その後、横川選手は大阪桐蔭高校へ進学後、1年秋からベンチ入りを果たし、実戦デビュー。
2年秋からは同級生の柿木蓮選手との二枚看板でチームを牽引したが、怪我もあり公式戦での登板機会は少なかった。
ただ、190センチを超える体格とキレのあるストレートは一級品であった為、プロのスカウトも多く注目していた結果、読売ジャイアンツから4位指名を受けたのである。
横川凱 球種と最高球速
横川選手のピッチャーとしての特徴は、190センチを超える高身長から投げられる140キロ超えのストレートと、スライダーを軸に組み立てる多彩な変化球を操れるところだ。
140キロ超えのストレートを投げる投手は高校野球では多く存在しているが、190センチという身長に加え、サウスポーという特徴を持った投手は中々いないだろう。
また、彼のスライダーも単に1種類というわけではない。
130キロ台の早めの変化をもたらすいわゆる『横スラ』や、球速を落としてチェンジアップ気味に落ちる『縦スラ』を駆使してピッチングを組み立てている。
経験者としては、変化球の中でも微妙な変化の違いがある球は非常に打ち返すのは難しく、『カーブ』でも100キロ台のスローカーブと、ストレートと球速が変わらない早めのカーブの2種類を投げる投手は打者は中々攻略できないのが現実だ。
横川選手自身、スライダーの他、カーブ、チェンジアップを持ち球にしているので、この能力はプロでも間違いなく通用するだろう。
横川凱 湖北ボーイズでの活躍
中学時代から野球エリートとして注目されていた横川選手。
彼が在籍していた湖北ボーイズは滋賀県屈指の強豪チームで、幾度となく全国大会に出場している。
そんなチームのエースとして中学時代から大活躍し、前述の通り中学時代に日本代表としてアメリカ遠征にも参加しており、当時は全中No.1ピッチャーと呼ばれていたそうだ。
横川凱 父や家族について
横川選手の家族構成は、父、母、姉の4人家族だそう。
横川選手が身長190センチ超えということで、ご家族も身長が高いらしく、
父親:187センチ
母親:167センチ
姉:170センチ
という高身長家族であることが判明し、横川選手自身も両親の良い遺伝子を受け継いだことがわかるのである。
ちなみに横川選手の「凱」という名前の読みは「かい」と読み、ご両親が「凱旋」という言葉から取って名付けられたそうです。
横川凱 彼女や結婚予定
高身長でイケメンの横川選手だが、彼女がいる情報は得られていない。
大阪桐蔭の野球部の規則は厳しいことで有名で、携帯電話の使用禁止や、寮生活は外出禁止(月一回だけコンビニに行ける)等、昔のPL学園並みに厳しい規則が存在し、ほぼ毎日練習ということで、彼女を作る機会も時間もなさそうだ。
ただ、大阪桐蔭の野球部はかなりモテると噂だ。
野球部として結果も出し、ルックスも良く、成績も良いという非の打ち所がない選手が多くいるので、同級生は勿論、全国の高校野球ファンの女性が好きになるのもわかる気がする。
ただ、彼女を作ることも大事だが、プロ野球選手としてのスタートラインに立ったばかりの横川選手が、まず目指すのは1軍デビューすることである。
潜在能力は十分高い横川選手が、活躍することを祈って、これからも見守っていこうと思う。