スターの活躍の裏には必ずと言っていいほど、その立役者や裏話が存在します。
また、その立役者が必ず表舞台で活躍するとも限りません。
2013年に国民栄誉賞を受賞し、巨人やヤンキースなどで4番を務めた国民的ヒーロー、松井秀喜氏。
そんな松井秀喜氏が「天才」と称するも、プロ野球という表舞台に進めなかった選手がいます。
それは、松井秀喜氏と星稜高校時代に共に戦い、星稜高校のエースでもあった、山口哲治氏です。
今回は、山口哲治氏と松井秀喜氏の知られざる関係や真実について、紹介していきます。
山口哲治氏のプロフィール・経歴・成績について
山口哲治氏は、1974年生まれの44歳(2019年1月現在)。
石川県出身で、中学校は、かほく市河北台中学校出身と思われます。
中学校時代からエースとして活躍し、あの松井秀喜氏とも対戦したことがあるようです。
松井秀喜氏が当時の対戦を振り返って、「山口哲治氏には敵わない」と思ったほど、相当な能力をもった投手だったようです。
中学卒業後、高校は石川県の強豪・星稜高校に進学し、松井秀喜氏とチームメイトとなりました。
高校在学時もチームの絶対的エースとして活躍し、3年生の夏、石川県大会の予選では、防御率0.00と1点も取られることなく、県大会を制覇。甲子園大会へと進みました。
しかし、2回戦の明徳義塾高校戦では、序盤で3点を許し、リードを与える展開に。
この序盤のリードが、明徳義塾高校へ余裕を与えることとなり、あの伝説ともなっている「松井秀喜氏への5打席連続敬遠」へつながることとなりました。
結果、この試合では3対2で敗北。甲子園大会優勝の夢は叶いませんでした。
その後、高校日本代表に松井氏と共に選ばれた山口哲治氏は、代表宿舎で松井氏のプロ志望の意向を聞き、松井氏とプロ野球で対戦することを夢見て、プロ志望届けを提出することとなりました。
しかし、ドラフト会議で、プロ球団からの指名を受けることがなかった山口哲治氏は、社会人野球の神戸製鋼へ進み、再び「松井氏と対戦する」という夢を追い続けました。
神戸製鋼でプレーを続けていた山口哲治氏ですが、故障に悩まされ、思うようなプレーが出来なくなったため、8年で引退することとなりました。
その後、山口哲治氏は引き続き神戸製鋼に勤務し、少年野球の監督を務めているそうです。
山口哲治氏を松井秀喜氏が「天才」と称する理由は??
あの松井秀喜氏が山口哲治氏を「天才」と称する理由はどこにあるのでしょうか。
松井秀喜氏がチームの中で最も実力を評価していたのが、山口哲治氏であったようです。
具体的な情報については、明かされていませんが、経歴でも紹介したように、3年生の夏、石川県大会では、防御率0.00と1点も取られていないことから、相当な実力の持ち主であったことが分かります。
当時の星稜高校は、松井秀喜氏に注目が集まっていたようですが、現在のプロ野球であれば、指名を受けていたかもしれませんね。
山口哲治氏の現在は神戸製鋼に勤務!!
プロ野球に進めなかった山口哲治氏ですが、高校卒業後は、社会人野球の神戸製鋼に入社し、プレーを続けたそうです。
社会人8年目に肩を壊し、引退を余儀なくされたそうですが、高校を卒業してから8年も諦めず、プロの世界を目指し続けた姿はすごいですね。
山口哲治は今でも神戸製鋼で勤務を続けているようで、社会人チームに従事しているかどうかは不明ですが、現在も勤め続けていることは、松井秀喜氏との対戦という夢を追い続けさせてもらった会社への恩返しという意味もあるのかもしれませんね。
山口哲治氏の結婚式で松井秀喜氏がスピーチの内容
引用元:松本千早のブログ
山口哲治氏は、社会人野球を引退した年に、現在の奥様と結婚し、結婚式を行いました。
その際、松井秀喜氏が結婚式に駆けつけ、スピーチを行ったそうです。
松井秀喜氏はそのスピーチで、
「プロで対戦するか同じチームでやるという夢がありました。夢はかなえられなかったが、これから奥さんと力を合わせて幸せな家庭を築き、2世をプロ野球に送り込んでほしい。ぜひ我が巨人軍(当時)でお待ちしています。2世をいい選手に育て上げてもらいたい。」
という思いをお話されたそうです。
かなり感動的なスピーチですよね。これほど、松井秀喜氏が山口哲治氏を想っているわけですから、山口哲治氏が相当な選手だったことが分かります。
山口哲治氏の嫁,子供について
前項でご紹介の通り、山口哲治氏は引退した年に、現在の奥様である、美砂子さんと結婚しています。
そしてお子さんは3人いらっしゃるそうで、長女を含め、お子さん皆さんが野球をやっているようです。
山口哲治氏のお子さんが松井秀喜氏とこの先、野球で関わることがあれば、それはとても感動的なお話となりそうですね。
山口哲治氏が叶えられなかった夢を、是非お子さんたちが叶えてほしいところです。