阪神タイガース

岡田彰布の娘と息子は?そらそうよの名言,原辰徳,イチローとの関係も調査!

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2000年代、星野仙一氏が阪神タイガースの監督に電撃就任し、リーグ優勝を果たした後を受け、監督就任したのは、阪神タイガースOBである岡田彰布氏でした。

岡田彰布氏もリーグ優勝を果たすものの、日本一にはなれず、阪神タイガースの監督を辞任。
その後はオリックス・バファローズの監督にも就任しました。

岡田彰布氏は監督時代に数々の名言(迷言?)を残し、今現在でもネット上で話題になっています。

現役時代も、1980年代の阪神タイガースを支える名選手であり、まさに記録にも記憶にも残る、プロ野球を語る上では欠かせない方です。

そんな岡田彰布氏のグランド外の情報については、これまであまり多く語られることはありませんでした。

プライベートでは、岡田彰布氏のお子さんの話題もちらほら出ているようなので、
今回は岡田彰布氏のグランド外の情報について、紹介していきます。

岡田彰布氏のプロフィール・経歴・成績・出身地について

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引用元:dmenu ニュース

岡田彰布氏は、1957年11月25日生まれの61歳(2019年9月現在)。
身長175cm、体重77kgの選手です。

大阪府大阪市中央区出身で、小学校中学校と地元大阪で過ごしてきました。
野球を始めたのは、小学5年生からとやや遅く、地元・南海ホークスが運営していた少年野球チーム「リトルホークス」にて野球をはじめました。

今でこそ、12球団全てにジュニアチームが設けられていますが、この時代にプロ野球チームが少年野球チームを運営するのは、珍しく先進的な試みであったと言えます。

中学時代には、大阪府大会で優勝するなど、輝かしい成績を残していました。

高校は地元・北陽高校(現・関西大学北陽高校)に進学し、1年生からレフトのポジションで出場。
早速、その夏の大阪府大会の決勝・PL学園戦で先制の2ランホームランを放ち、活躍。チームも見事勝利し、夏の甲子園大会の出場を果たしました。

甲子園大会では、準々決勝で敗れてしまいましたが、1年生時から甲子園大会に出場するという素晴らしい活躍を見せていました。

同年の秋の大会からはエースとして活躍しましたが、チームの不祥事による出場辞退などもあり、再びの甲子園大会出場の夢は叶いませんでした。

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高校卒業後は名門・早稲田大学に進学しました。
早稲田大学進学後は1年生から「7番・レフト」で秋の大会から出場。
当時「怪物」として注目を浴びていた、法政大学の江川卓から3安打を放ち、岡田彰布氏は注目を浴びました。
江川卓とは、プロに両人がプロに進んだ後も、数々の名勝負を繰り広げ、伝統の巨人阪神戦を沸かすこととなりました。

2年生の時からは、三塁手へ転校し、打順も5番へ昇格。攻守ともにチームの主軸として活躍しました。

3年の秋の大会ではリーグ三冠王を獲得するなど、プロからも注目される選手へと成長していきました。

大学は取得単位数不足のため、中退をし、プロへの道を進むこととなりました。
六大学リーグでの活躍ぶりに、数々のプロ野球球団から熱視線を集めていた岡田彰布氏でしたが、本人の希望としては、第一希望は阪神タイガースへの入団でした。

そして、ドラフト会議にて、6球団から1位の指名を受け、抽選の結果、本人の希望通り阪神が交渉権を獲得。阪神タイガースへの入団が決まりました。

入団後は、すでに内野のレギュラー陣が強固であったため、出場機会がなかなか与えられない状況でしたたが、レギュラー陣の不調や故障離脱により、徐々に出場機会を得られるようになりました。
入団1年目からオールスターにも出場し、代打で本塁打を放ちました。これは当時史上最年少の本塁打記録でもありました。

当時の岡田彰布氏のポジションは、サードとセカンド、時よりファーストも守るなど、ルーキーイヤーから複数のポジションを務めました。

翌年には、空いたセカンドのポジションにて全試合にフル出場、小柄な身体ながら、右打者に有利とも言われる甲子園の浜風にも助けられ、20本のホームランを記録し、次の年には打率3割を記録しました。

次第に足の故障にも悩まされるようになりますが、出場すれば安定した成績を残しており、まさに阪神タイガースの主軸選手として活躍を続けました。

1985年には、現在も伝説として語り継がれている「バックスクリーン3連発」の締めくくりとなる一発を放つなど、大活躍しました。
結果、この年はタイトル獲得こそ逃すものの、打率.342、35本塁打、101打点を記録し、球団初となる日本一に大きく貢献しました。

その後も安定した成績を残し、時より4番を務めることもありました。
魅力的な長打力は健在で、ここ一番で放つ本塁打はどれも印象的なもので、多くの阪神タイガースファンを熱狂させる一打を放ち続けました。

晩年ともなってきた1990年代からは次第に成績も下降し、他の選手に出場機会を奪われるケースも多くなりました。

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そして1993年、体力の衰えがあると球団に判断され、長きに渡り活躍してきた阪神タイガースを自由契約になりました。

小さい頃から阪神タイガースファンであり、念願の阪神タイガースの選手として活躍してきた岡田彰布氏の去就に注目が集まりましたが、結果、同じ在阪球団であるオリックス・ブルーウェーブに入団しました。
オリックス入団前には恐喝事件の被害にも遭うという不運にも見舞われましたが、オリックスでの再起を果たすために奮起しました。

しかし、目立った活躍も出来ず、1995年に現役を引退しました。

現役引退後の翌年にはオリックス・ブルーウェーブの二軍助監督兼打撃コーチに就任し、岡田彰布氏の第二のプロ野球人生である指導者としての道を歩み始めました。

その翌年には同じポジションにて阪神タイガースへ復帰。
2000年から2002年には二軍監督として指揮を執り、一軍へ主力選手を続々と輩出し、その手腕が高く評価されました。

2003年には阪神タイガースの一軍内野守備走塁コーチとして昇格し、今度は走塁コーチとしての状況判断能力が高く評価されました。

そして、星野仙一氏が監督を勇退したことを受け、一軍監督に就任しました。

就任1年目こそ、主力選手の不調や故障が相次ぎ、4位という結果に終わるも、2005年には、主力選手も揃い、見事リーグ優勝を果たしました。
日本シリーズこそ、千葉ロッテマリーンズに圧倒的な差を付けられ、日本一を掴むことはできませんでした。

その後はリーグ優勝から遠ざかり、2008年には一時13ゲームの差を付け首位を独走しながら、最終的には巨人に逆転優勝を許すこととなった、その責任を取る形で阪神タイガースの監督を辞任しました。
監督退任後は野球評論家へと転身したが、1年で活動を終了。

2010年シーズンからオリックス・バファローズの監督に就任しました。
オリックスでの監督初年度シーズンは、交流戦で見事優勝するなど前半戦に躍進を果たしましたが、後半戦は失速し、5位という結果に。

結果、監督就任3年間で一度もAクラス入りを果たせず、事実上の「解任」となり、オリックス・バファローズでの監督人生を終えました。

その後は、再び野球評論家に復帰し、今日まで活動を続けている。

岡田彰布氏の娘はかわいい?美人と評判?

岡田彰布氏は阪神タイガース在籍3年目の開幕前に、婚約を発表しました。
お相手として公表されたのは、一般会社員であった、大関陽子さんという方でした。

その奥様との間に生まれた娘さんがキレイであるという噂が広まっています。
実際に噂となっている岡田彰布氏の娘とされる写真がこちらです。

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引用元:虎 Lucky

詳しい情報等については不明で、この写真が岡田彰布氏の娘さんであるかも不明ですが、ネットでは本物であるとして、「キレイ」「かわいい」と評判になっています、

年齢等も不明のため、この写真から想定するしかありませんが、娘さんである可能性も十分にあるかと思います。
写真の鮮明さから、芸能関係の仕事をしている可能性もあるため、後に詳しい情報が出てくるかもしれませんね、

岡田彰布氏の息子は三菱商事勤務で阪大卒のエリートマン?

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引用元:NEWSポストセブン

最近では娘さんと思われる方の美人さが話題となっていましたが、その前には息子さんのエリートさが話題となっていました。

なんでも陽子夫人と結婚した3年後の1985年に長男が誕生したそうで、明星高校から大阪大学の基礎工学部へ進学した超エリートマンだそうです。
そして大阪大学卒業後には、超有名企業である三菱商事に入社したそうです。

ネットの情報いわく、息子さんは、自分の父親が元阪神タイガースの岡田彰布であることを出すことはなく、謙虚な性格であるそうです。

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岡田彰布氏も早稲田大学に入学したエリートでもありましたが、岡田彰布氏が早稲田大学に入学したのは、野球のセレクションもあったことであり、
息子さんのエリートさは、上智大学の外国語学部卒業で、英語が堪能であった陽子夫人から受け継いだものであったのかもしれません。

娘さんの情報があまり出てこないのも、息子さんの情報が出回って、かなりのエリートであることが判明されてしまっているため、その息子さんと比べられてしまうことが辛いために情報がないのかもしれませんね。

岡田彰布氏の口癖「そらそうよ」とは?

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数々の偉大な選手やOBには語り継がれる「口癖」などが有名ですが、もちろん岡田彰布氏にも有名な「口癖」があります。

それが「そらそうよ」。

この口癖が焼酎の銘柄の名前にもなっているほどで、ネットでも有名な言葉となっています。

もともと岡田彰布氏は指示語を多用することが多く「あれ」「これ」「それ」が多く使われています。
身内からもそのことを指摘されており、時たま「話がわかりにくい」と言われることもあります。

この口癖とされている「そらそうよ」はかなり広義な使い方ができると、ネットでも評判になり、詳細な解説付きで「そらそうよ」を使った会話がされることがあります。

岡田彰布と原辰徳との関係性について

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引用元:yoshilover blog

時を同じくして1980年代のプロ野球を彩り、巨人阪神のライバルとしてしのぎを削った原辰徳。
奇しくも両人ともに時を同じくして巨人阪神の監督として戦ったこともありましたが、この二人の関係性はどうなのでしょうか。

岡田彰布氏と原辰徳は、岡田彰布氏のほうが1歳年上で、大学時代からしのぎを削っていた間柄だったそうです。
特に大学選抜の日本代表チームでは、ともにサードで選出され、原から岡田がサードのポジションを奪われながら、奪い返したということもあったそうです。

岡田彰布氏は「俺が望んでいた阪神タイガースへ入団した翌年に、原が望んでいた巨人に入団した。因縁を感じる。」とも発言しています。

岡田彰布氏は阪神タイガース入団後、サードを守ることもあり、巨人のサードを守る原辰徳氏を意識していたそうです。

原辰徳は巨人の監督に復帰し、再びプロ野球の監督として現場復帰していますが、岡田彰布氏の現場復活もそう遠くないことかもしれませんね。
特に若手の育成には評判もありますので、アドバイザーのような立場で現場復帰することもありえそうです。

岡田彰布氏とイチローの関係性について

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引用元:週刊ベースボールONLINE

プロ野球の伝説的バッターで日本の誇りでもあるイチロー。
先日の引退時に岡田彰布氏がイチローに向けてコメントを残しています。

プロ野球ファンの中では、岡田彰布氏とイチローの接点がないのでは?と思う人もいるかもしれませんが、
岡田彰布氏とイチローは、岡田彰布氏がオリックス・ブルーウェーブに移籍した時にブレイクした選手だったのです。

岡田彰布氏が引退した後も指導者としてイチローを見てきたこともあり、岡田彰布氏は同じ選手としても、指導者としてもオリックス・ブルーウェーブで見てきたのです。

そんなイチローに向けて岡田彰布氏は、
「バックスクリーンにホームランをどんどん打ち込む姿を見て、俺の中ではホームランバッターというイメージだった。選手、指導者として見てきた中では1番の選手。」
「正直メジャーリーグに行ってここまでやるとは思ってなかった。野手では厳しいと言われている中でプレーしたことに、本当にお疲れ様と言いたい」
とコメントしています。

いかがだったでしょうか。
大学時代からエリートな野球人生を送り、プロ野球史を語る上では欠かせない人物である岡田彰布氏。

今でも語り継がれる、プロ野球史に残る人物であっただけに、また再び現場復帰されることを願いたいですね。

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