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ドラフト会議歴代司会者!パンチョ伊東,関野浩之はどんな人??

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プロ野球において年に一度の大イベント。それはドラフト会議です。

アマチュアで腕を磨いた選手たちが、プロへの門戸を叩くことになるその一日では、約100名ほどの選手たちがプロ野球球団からの指名を受け、入団することになります。

このドラフト会議で、指名球団以外では、いち早く指名された選手を知ることとなる人がいます。

それがドラフト会議の司会者です。

一指名ずつ丁寧に名前・ポジション・最終所属チームが読み上げられますが、この一瞬には多くの人の人生の行く末が懸かっていると言っても過言ではありません。

今回は、そんなプロ野球選手への第一歩への道を示すべく司会を全うするドラフト会議の司会者について紹介していきたいと思います。

ドラフト会議の歴代司会について

プロ野球のドラフト会議は1965年から開催され、2020年で55年目を迎えます。

この長い歴史の中で、司会者として担当した人は、わずか3人です。

まずドラフト会議の開始から1991年にかけては、パンチョ伊東との名で知られる伊藤一雄氏、そこから1992年、1年開けて1994年から2008年までは日本野球機構(NPB)の職員が努めた後、2009年からは関野浩之氏が担当し、現在に至っています。

NPBの職員が務めた14年間を除いては、約40年間を3人で担当していることになります。

中でも、ドラフト会議開始当初から35年余を務めていたパンチョ伊東氏はまさにドラフト会議の人との印象も強いです。

この後は、パンチョ伊東氏をはじめ、渡辺謙太郎氏、関野浩之氏について詳しく紹介をしていきます。

伊藤一雄(パンチョ伊東)のプロフィール,経歴について

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引用:Number Web

伊藤一雄氏は、1934年4月7日生まれで、2002年7月4日に68歳という若さで惜しくも亡くなられました。

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東京都豊島区出身で、小学生の途中まで東京に住んでいました。
しかし、戦争が始まったことで、戦火の渦に巻き込まれた東京を離れることとなり、千葉県市川市に移住しました。
その後は、千葉県市川市に住み続けました。小学校、中学校は市川市の学校に通いましたが、高校は東京都墨田区にある都立第三新制高等学校(現・東京都立両国高等学校)に進学しました。

高校卒業後は、千葉大学文理学部に進学するも、大学を中退することとなりました。

伊藤一雄氏は、幼少期から野球に触れていたそうですが、なんでも父親の影響だったそうです。
この頃は、野球か相撲が日本の「国技」のようになっていましたから、野球を好きになる子も多かったようです。まさしく伊藤一雄氏もその一人だったというわけです。

学生時代には、読売巨人軍の試合を観戦しに後楽園球場へ、また大学野球を観戦しに神宮球場へと頻繁に足を運んでいたそうです。
その観戦の仕方は、今でも珍しい形だったそうで、なんとスコアカードを記入しながら観戦していたそうです。今でもスコアブックを付けながら観戦する人もいますが、その当時としては大変珍しく、今でもなかなかお目にかかることはありません。

そんな野球好きが講じ、千葉大学中退後、1959年にパ・リーグの職員として就職しました。
就職後は、当時のパ・リーグの会長である中沢不二雄会長の秘書を務め、その後はパ・リーグの広報部長としてメディア出演なども行い、パ・リーグの人気の上昇に尽力されました。
1991年にパ・リーグの職員を退職すると、その後はジャーナリストとして活躍しました。
メディア出演も多く行い、持ち前のプロ野球に関する情報を多く世の中に発信し続けました。

2000年頃からは体調不良となりながらも、大好きな野球に関わり続け、死の直前まで仕事を続けていましたが、2002年7月4日に心不全のため、帰らぬ人となりました。

ドラフト会議の司会としては、ドラフト会議開始の1965年から1991年まで司会を務めました。
その頃の伊藤一雄氏は、パ・リーグの職員であったことから、ドラフト会議は12球団で行われるものであったものの、司会はパ・リーグの職員である伊藤一雄氏が務めていたということになります。

国民が注目するドラフト会議では、張りがあり、独特の声色で名前を読み上げることで、伊藤一雄氏を広く知らしめることとなりました。
1988年までは、選手の名前を掲示板に掲げるスタイルであったため、選手名の紹介なども指名選手の読み上げ後に行われていました。

なお、伊藤一雄氏が読み上げた最後の指名選手は、福岡ダイエーホークスから指名を受けた田畑一也投手であり、最後の読み上げ自体は「第10回選択希望選手 阪神 選択見送り」であったそうです。

また、伊藤一雄氏のあだ名である「パンチョ伊東」の由来ですが、当時阪急にいた強打者、スペンサーから「パンチョ」と呼ばれたことが由来だそうです。
なんでも「パンチョ」というのはメキシコでよく付けられるあだ名だそうで、当時の日本人には珍しく、外国人選手にも気さくに話しかけていた伊藤一雄氏に親しみを込めて「パンチョ」とあだ名を付けたそうです。

渡辺謙太郎のプロフィール,経歴について

渡辺謙太郎氏は、1930年12月22日生まれで、2006年11月14日に75歳で亡くなられました。

渡辺謙太郎氏は、東京都出身で、高校は都立第五新制高等学校(現・都立小石川高等学校)を卒業した後、早稲田大学第一文学部に進学しました。
大学時代は、軟式野球部に所属しながら、母校である都立小石川高等学校の野球部の監督を務めました。
大学卒業後は、TBSのアナウンサーとして就職し、主に野球などのスポーツ実況を務めていました。野球実況をメインとしながらも、オリンピックの実況を務めており、まさにTBSのスポーツ実況の顔として活躍していました。

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1985年にTBSを定年退職した後も、フリーのアナウンサーとしてプロ野球やJリーグなどの実況を務め、スポーツ実況の人生を全うしていました。

ドラフト会議の司会については、パンチョ伊東氏が退任した翌々年の1993年に司会を務めました。
当時から、TBSにてドラフト会議の中継が行われていたこともあり、渡辺謙太郎氏は定年退職後もTBSと専属契約を結んでいたことから縁があり、司会を務めることになったそうです。

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実はNPB関係職員以外で司会を務めたのが渡辺謙太郎氏が初めてであり、それだけ渡辺謙太郎氏野球の実況やアナウンス能力に長けていたことから白羽の矢が立ったと言っても過言ではないかもしれません。

渡辺謙太郎氏が司会を務めたのはこの1993年の1年限りでしたが、後のアナウンサーによるドラフト会議の司会進行の流れを作った先駆者であったと言えるかもしれません。

残念ながら、渡辺謙太郎氏のドラフト会議司会時の動画はございませんでしたが、こちらが渡辺謙太郎氏の実況時の音声です。

 

関野浩之のプロフィール,経歴について

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引用:まいどなニュース

関野浩之氏は、1962年5月6日生まれの58歳です。

東京都出身で、最終学歴は玉川大学芸術学科演劇専攻を卒業しています。アナウンサーとしてのイメージが強い関野浩之氏ですが、大学卒業後は舞台俳優として活動していました。
大学も演劇専攻であったことから、学生のころから俳優の道を目指していたのかもしれません。

しかし、28歳の時にフリーのアナウンサーとして活動することとなりました。
そしてフジテレビで放送されている「プロ野球ニュース」の担当をしたことをきっかけに、フジテレビ系列でスポーツ関連のナレーションを務めることとなりました。
これをきっかけに関野浩之氏には「スポーツナレーション」のイメージが定着し、Jリーグのスタジアムアナウンサーを務めることとなりました。

関野浩之氏は、この「スポーツナレーション」のイメージそのままに、2009年から現在までドラフト会議の司会を務めています。
ちなみに、この「ドラフト会議のナレーション」のイメージから、AKBのドラフト会議の候補者読み上げも担当しました。

関野浩之氏がドラフト会議の司会を務めるにあたって、一番大事にしていることは「1順目から育成選手の最後指名まで、全て同じテンションで真心とリスペクトを込めること。」だそうです。
関野浩之氏は、アナウンサーを目指した発声法ではなく、演劇を基本とした発声法だそうです。

その発声法が故、淡々と読み上げることが難しく、どうしても抑揚が付いてしまうことがコンプレックスだったそうですが、それがスポーツ界にとっては、盛り上がりに合う発声法であったことから、スポーツ界、エンタメ界からも引っ張りだことなっているようです。
確かに一方では、その読み上げ方にやや違和感を感じる意見もあるようですが、今や「ドラフト会議の司会の顔」となっています。

ドラフト会議の歴代司会のまとめ

ここまでドラフト会議の司会者を紹介してきました。パンチョ伊東氏が長年積み上げてきたドラフト会議の司会者の歴史を、渡辺謙太郎氏がアナウンサーとして上手くつなぎ、そして関野浩之氏がこれまでの歴史を尊重しながら、現在のドラフト会議の司会の形を作り上げています。

アマチュアの選手がプロ野球選手としての第一歩を踏み出す、その大事な瞬間を作り上げる責任重大な役割を全うしているドラフト会議の司会者にも注目しながら、今後のドラフト会議を見ていくのも面白いかもしれないですね。

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