昨今外国人助っ人選手の必要性はどの球団も重要視しており、これまでも多くの外国人選手が日本球界で活躍してきました。
その外国人助っ人選手の中でも印象的な選手なのが読売ジャイアンツに在籍したガルベス投手です。
ではガルベス投手は一体どのような選手だったのでしょうか?チェックしていきたいと思います。
バルビーノ・ガルベス(元読売ジャイアンツ) プロフィール(経歴,成績,出身地)
出典:https://www.ntv.co.jp/baseball/articles/34hv57g5uzg4vdyvql.html
- 名前:バルビーノ・ガルベス・ヘレス(英語表記:Balvino Galvez Jerez)
- 生年月日:1964年3月31日
- 出身地:ドミニカ共和国
- 身長:180センチ
- 体重:107キロ
- 投打:右投右打
- 経歴:ロサンゼルス・ドジャース-兄弟エレファンツ-読売ジャイアンツ-サムスンライオンズ
読売ジャイアンツの歴史で印象的な外国人選手のガルベス投手。ドミニカ共和国出身のガルベス投手は1981年にアメリカメジャーリーグのロサンゼルスドジャースと契約。1度はメジャー昇格をしたものの、ほとんどの年はマイナー生活が続きました。
その後台湾の兄弟エレファンツへ入団しましたが、素行不良等の問題により、シーズン途中で解雇され、1996年に読売ジャイアンツへテスト生として入団。首脳陣の期待は高くない状況でしたが、この年16勝を挙げ、最多勝を獲得。(チームメイトの齋藤雅樹と共に獲得。)
1996年はペナントレース最終戦で同率であった巨人と中日の戦い(10.6決戦)で巨人が勝利し、11.5ゲーム差をひっくり返した年であり、シーズンを通してガルベス投手の存在は貴重な存在となっていました。
その後2年間も巨人で活躍を見せましたが、自身の起用法に納得がいかない状況が続き、素行が悪くなり、さらに怪我にも苦しみ、結果として2000年に対談となりました。
アメリカのピッツバーグパイレーツ、韓国の三星ライオンズを経て引退し、現在はドミニカ共和国で野球学校の代表として活動しています。
ガルベス 現在は野球学校代表
現役時代、性格的にムラがあり、選手として悪い部分が目立ってしまうことも多かったガルベス選手ですが、現在は母国ドミニカ共和国で野球学校の代表を務めております。
自身の経験を伝えながら、未来のメジャーリーガーの育成に励んでおり、今後ガルベスさんが育てた若手選手がどんどん出てくるかもしれませんね!
ガルベス 山崎武司選手と乱闘
スポンサーリンク出典:https://www.daily.co.jp/baseball/2017/06/20/0010298085.shtml
ガルベス投手を語る上で外せないのがいくつかの‘乱闘事件’です。遡ること1996年シーズンの5月、対中日ドラゴンズ戦のおいて事件は起きました。
ガルベス投手の投げた豪速球が中日の山崎武司選手の頭部を通り、この投球に対し山崎選手が大激怒。結果両軍入り乱れての乱闘騒ぎとなってしまったのです。
実はこの巨人対中日の連戦中、お互いにデッドボールを当て、その報復連鎖が続いていました。ピリピリした緊張感の中、このガルベスvs山崎武司の対決で緊張の意図が切れ、試合は約30分中断し、両者は退場となりました。
今では考えられないほどの乱闘事件は、今でも多くのファンの目に焼き付いていますね!
スポンサーリンクガルベス 審判にボール
もう1つガルベス投手が暴れたのが1998年の巨人VS阪神大乱闘事件です!
この試合、バッター阪神の坪井智哉選手。2ストライクに追い込んだ後際どい内角球がボール判定となり、その後ホームランを打たれピッチャー交代となりました。そしてベンチへ戻る際にガルベス投手は審判に向けてボールを投げ込むという暴挙に出てしまったのです。
結果、無期限出場停止と罰金4,000万円という処分を受けてしまい、ガルベス投手にとっては痛い処分となってしまいました。
ガルベス 打撃(バッティング)力
出典:https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/1834575/
スポンサーリンクガルベス投手の魅力の一つが「打撃力」です。野手に比べ投手の打力は劣ると言われていますが、ガルベス投手に関しては例外かもしれません。
1999年のシーズンでガルベス投手はシーズン2本の満塁本塁打を放ち、それもギリギリホームランになったわけではなく、推定飛距離140メートル弾だったのです!
性格の面でマイナスな部分も多かったですが、選手としてチームに大きく貢献したのは確かかもしれませんね!
https://www.youtube.com/watch?v=doItOEtXRMQ
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