横浜高校伝説の投手と謳われる丹波慎也氏。
その兄として、プロ野球選手にもなった丹波幹雄氏について紹介していこうと思う。
丹波幹雄 プロフィール(経歴 成績)
生年月日:1974年9月30日
身長:194センチ
体重:94キロ
神奈川県横浜市出身の幹雄氏は、プロ野球ファンの中でも知る人ぞ知る選手である。
中学時代から抜群の野球センスを持ち、高校では神奈川の名門である横浜高校に進学。
横浜高校野球部では、1年生の時から投手としてベンチ入りをしている程の実力を持ち合わせおり、次世代のエース候補として期待されていた。
しかし、肘の怪我が原因で2年の春に横高野球部を退部してしまった。
その後、野球への情熱を失っていたが、弟である慎也氏とのキャッチボールをきっかけに、弟から『まだまだ野球出来るぞ』という助言を受け、野球を再開することを決意する。
弟のアドバイス、更には急逝により、兄である幹雄氏は弟の想いを胸に秘め、社会人野球のクラブチームであるWIEN BASEBALL CLUB(※)で野球を再開し、そして1998年のドラフト会議でヤクルトスワローズから8位指名を受け入団するのである。
プロ野球選手として活躍を期待されていたが、残念ながら一軍での登板機会は無く、2002年に現役を引退している。
※WIEN BASEBALL CLUB1997年、オーストリアで働く日本人達が、野球をやりたくなって、ドナウ川の河川敷に自分たちでグラウンドを作って始めたチームです。OFFICIAL HPから抜粋
丹波幹雄 現在と本人の写真
現在の写真はあまり見当たらないが、
上記で掲載したInstagramでの真ん中の方が幹雄氏である。
190超えの長身に、体重も90キロ以上という大巨漢の幹雄氏は、写真を見てみるととても体格が良いのがわかるだろう。
丹波幹雄 現在勤務している会社(企業)は?
幹雄氏の現在のお仕事は、なんとバスの運転手をしているようだ。
『川崎鶴見臨港バス』という会社に勤務しており、このバスに乗車すれば幹雄氏に会えるかもしれない。
神奈川県横浜市出身の幹雄氏にとって、川崎や鶴見周辺を運行するバス運転手になったのは、地元で働くというごく自然な流れだったのかもしれない。
丹波幹雄 弟・丹波慎也
幹雄氏を語る上で、絶対に外せない人物は弟の慎也氏である。
あの横浜高校で1年生からベンチ入りをし、長年監督を務めていた渡辺元智氏によると、
「横浜高校史上、No.1の選手」
と言わしめた超高校級ピッチャーであった。
しかし、将来のエースとして期待されていた慎也氏だったが、17歳の時、心臓肥大による急性心筋梗塞で亡くなってしまったのだ。
慎也氏の死去により、チームメイトや監督は喪失感で県予選の不参加をも考えていたそうだが、慎也氏の両親から、
「慎也の遺志を持って参加してください。」
という言葉を受け、チームは『丹波の為に勝つ』という気持ちで一致団結し、関東大会優勝し選抜出場、同年の夏の甲子園にも出場している。
野球好きな人にとって、「丹波慎也」という名前は覚えていなければならない選手である。
気になる人は11/18(土)にTBSで放送予定の「消えた天才」という番組を観て欲しい。
この番組で丹波慎也氏の特集が組まれているので、是非チェックして欲しい。
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