2020年、読売ジャイアンツのヘッドコーチに就任した元木大介氏。
現役時代は巨人一筋、長嶋茂雄氏から「くせ者」と称された元木氏は、引退後は野球と離れた場所で様々な経験をしていきました。ラーメン屋経営、おバカタレント等、野球とは縁遠い生活を送っていましたが、2019年からはプロ野球界に復帰していきました。
そんな元木氏のキャリアをご紹介していきたいと思います。
元木大介(読売ジャイアンツ) プロフィール(経歴,成績,出身地)
出典:https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/249022
名前:元木大介(ヨミ:モトキダイスケ)
生年月日:1971年12月30日
出身地:大阪府豊中市
身長:180センチ
体重:83キロ
投打:右投右打
経歴:上宮高校-読売ジャイアンツ
元木大介。ジャイアンツ一筋でキャリアを積んだ名選手です。
幼少期、当時巨人で監督をしていた王貞治氏と対面し、記念撮影をした際、
「プロ野球に入るなら巨人に来いよ」
スポンサーリンクとアドバイスを受けたことに感銘を受け、この頃から巨人ファンになり、巨人の一員になることを目指します。
高校時代、上宮高校のスーパースターとして甲子園に3回出場し、甲子園通算6本塁打、高校通算24本塁打という記録を打ち出し、当時その端正なルックスで人気を博しました。
特に3年の夏は大阪大会や甲子園練習に女性ファンが殺到。開会式当日、出場校は球場外で待機することになっていましたが、混乱を避けるために元木氏の上宮高校は隔離されるという異例の措置を取られました。
その後のドラフト会議で巨人1位指名を希望するものの、巨人は慶應大学で三冠王を獲得した大森剛氏を1位指名。元木氏はダイエーから指名を受けましたが、これを拒否し、1年間の野球浪人を決めます。
入団後、長距離打者が多くいた巨人において、元木自身はこれまでのホームランバッターのようなスタイルから変わることを決意し、相手が嫌がるようなプレイを心がけ、後に元木氏は長嶋監督から“クセ者”と重宝されるようになりました。
長らく巨人で活躍していたものの、2005年には戦力外通告。他球団からもオファーはありましたが、
「ジャイアンツが好きだから、入団したときからこのチームでいらないと言われたら辞めようと決めていた」
と33歳で現役を引退しました。
引退後は解説者やタレント業、飲食業と幅広く活動し、2018年にはU-12日本代表監督を務め、2019年からは巨人の内野守備走塁コーチでNPB復帰、そして、2020年からは巨人ヘッドコーチに就任となりました。
元木大介の息子(子供)、元木翔大と元木瑛介について
出典:https://hochi.news/articles/20180806-OHT1T50124.html
元木氏は翔大(しょうだい)氏と瑛介(えいすけ)氏の2人の子供がいます。
スポンサーリンク長男の翔大氏はボーイズリーグ・麻生ボーイズという野球チームに所属し、父親が監督を務めていたU-12日本代表にも選出され、2018年8月上旬にアメリカで開催された「カル・リプケン12歳以下世界少年野球大会」で優勝も果たしています。
次男の瑛介氏は2010年に誕生し、現在10歳。詳細は不明ですので分かり次第記載致します。
元木大介の妻・大神いずみ
出典:https://lohaslove.ti-da.net/e6241572.html
スポンサーリンク元木氏の妻は元日本テレビアナウンサーの大神いずみさん。
お二人の馴れ初めは不明ですが、スポーツ選手とテレビ局のアナウンサーのお食事会は今も昔も行われているようで、元木氏も大神氏もこういったお食事会で知り合った可能性が高いかもしれませんね。
元木大介の隠し球
現役時代、攻撃時も守備時も常に相手の嫌がるプレーを心がけていた元木氏ですが、代名詞と言われているのが「隠し球」です。
野球経験者なら分かりますが、隠し球は簡単には成功しません。プレーが中断した際は隠し球は行えず、インプレーの際にしか行えないプレーの為、ほとんどは成功せず、多くの選手は実施しません。
しかし元木氏は現役時代に隠し球を実施し、更に高校時代も隠し球を行なっており、学生時代から相手の隙を狙うプレーを心がけていたのかもしれませんね。
元木大介は元ラーメン屋経営
出典:https://matome.naver.jp/odai/2143277170298214001/2143277187298446503
現役時代の元木氏の活躍は多くのジャイアンツファンを魅了し、今だに彼の現役時代を懐かしむファンは大勢います。
そんな元木氏が引退後、挑戦したのが「ラーメン屋経営」です。
引退してから5年後、ラーメン店“元福”をオープンさせ、4年でラーメン店を3店舗まで拡大していきました。
しかし、場所選びの浅はかさや無計画だった開店準備や、新店舗をスタッフに任せて放置した結果、スープの色や味を勝手に変えられた等の理由で全店舗閉店という形になってしまいました。
この時の経験は現在のコーチとしての立場で活かされているようで、『怒るだけじゃダメ。今の時代だったら7割は褒めてあげないと』という考え方が生まれたそうです。
結果的にラーメン屋経営は失敗しましたが、失敗から学ぶことはあるということを元木自身も気づかされたかもしれませんね。
紆余曲折ありましたが、2020年からは伝統ある読売ジャイアンツの‘ヘッドコーチ’という原監督の参謀のような立場になります。多くの経験をした元木氏が、ジャイアンツ常勝軍団を築いていくことを祈って見守っていきたいと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=DVtG3CE_6HE
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