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川崎球場はガラガラ流しそうめんに麻雀も…カップルや医者の逸話についても

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昭和のプロ野球は、令和に入った現代でも多くの「逸話」が語り継がれています。

数々のスターがいたプロ野球選手はもちろん、その選手たちが輝いたスタジアムまで語り継がれています。

今では、昭和の時代からプロ野球12球団の1軍本拠地として使われている球場が数少なくなりました。
12球団のうち、昭和の時代から本拠地自体を移してしまっている球団も数多くあります。

今回は、そんな昭和のプロ野球界を彩った、ある球場を紹介したいと思います。

その球場とは「川崎球場」。

かつては大洋ホエールズやロッテオリオンズの本拠地として使用されていた球場で、
昭和のプロ野球界を語る上では欠かせない球場のひとつとなっています。

現在は形姿を変え、野球以外の用途で使われている川崎球場。
しかし、定期的に昭和のプロ野球界を懐かしむイベントも行われているようです。

前人未到、3度の三冠王を獲得したロッテ・落合博満も本拠地とした川崎球場。

今回は、そんな球史を語る上では欠かせない球場である川崎球場についてご紹介していきたいと思います。

川崎球場とは

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引用:週刊ベースボールONLINE

川崎球場は神奈川県川崎市にあった野球場です。
1951年、当時川崎に多くの企業の拠点が存在していたことにより、野球が盛んに行われていたことから、
川崎市といくつかの企業の共同出資により、この川崎市富士見にあった富士見公園内に川崎球場が竣工しました。

1952年には内野スタンドが設置され、プロ野球の試合が開催できるように再整備し、
この年に初めてのプロ野球公式戦となる東急フライヤーズ対大映スターズの試合が開催されました。

東急フライヤーズは、現・北海道日本ハムファイターズの前身球団であり、大映スターズは、現・千葉ロッテマリーンズの前身球団です。

結果、この年にはプロ野球の試合が47試合開催され、翌年の1953年にも23試合が開催されました。

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当時はどの球団のフランチャイズ球場としても属していませんでしたが、セパ計5球団が後楽園球場を本拠地とした関係で、日程によっては、利便性の高さからこの川崎球場で試合が開催されていました。

その後、1954年に発足した高橋ユニオンズ(現。千葉ロッテマリーンズの系譜に属する球団)がプロ野球では初めて、この川崎球場をフランチャイズ球場としました。
そしてこの年の6月には、照明設備が導入され、ナイターによる試合の開催がかのうとなりました。

1955年からは、大洋ホエールズもこの川崎球場をフランチャイズ球場としたことで、セパ計2球団が川崎球場に本拠地を構えることとなりました。
その後ほどなくして、高橋ユニオンズは経営難により大映スターズに吸収合併したため、再び1球団によりフランチャイズ球場となりました。

1957年から1977年までの21年間は大洋ホエールズのみがこの川崎球場をフランチャイズとしました。
川崎球場といえば、この後ご説明するロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の本拠地としてのイメージが強い方も多いと思いますが、
ロッテオリオンズよりもこの大洋ホエールズの本拠地としての方が歴史は長く、また古いものです。

当時の川崎球場では、開業当初から続く停電もしばしば発生しており、そのため試合が中断することがあったそうです。
今では考えられないことですが、当時の川崎球場周辺には工場が多く密集しており、その工場の電力消費と重なると、度々停電が起きていたそうです。

昭和のプロ野球界を彩る大スター・王貞治がかの有名な「一本足打法」を初めて試合で披露したのが、この川崎球場であったそうで、まさに王貞治の伝説は、この川崎球場から始まったと言っても過言ではないかもしれません。

その後、大洋ホエールズと同一リーグで対戦も多かった巨人。
王貞治は、度々ライトスタンドに設置された防球フェンスを越えるホームランを放っていたため、フェンスの高さを上げた、ということが起こったそうです。
ファンの間では、このかさ上げされたフェンスを「王ネット」と呼んでいるそうです。

そしてこの頃には、忌わしき事故も発生しました。
大洋ホエールズ対阪神タイガースの試合で、阪神のレフトを守っていた選手が、打球を追いながらフェンスに激突。
当時の川崎球場のフェンスは、コンクリートで作られていたため、この選手は頭蓋骨骨折の重傷を負ってしまいました。

この事故がきっかけで12球団の全本拠地球場にラバーフェンスの取り付けが義務付けられました。
現在の外野手が安全にプレーできているのも、この事故の教訓があってこそであると言えると思います。

やがて、川崎球場の老朽化や集客面でのアクセスの悪さから、大洋ホエールズは横浜市に新設される球場への本拠地移転を進めていきました。
このことは川崎市に伝えられた頃には既定路線となっており、プロ野球の開催危惧を恐れた川崎市は、当時「ジプシー・ロッテ」として本拠地を持てていなかったロッテオリオンズに対し、この川崎球場を本拠地として使用してもらうように積極誘致をしました。

結果、1978年から1991年まで、ロッテオリオンズがこの川崎球場を本拠地として使用することになりました。
しかし、川崎球場側はロッテオリオンズを積極誘致しただけに留まり、老朽化が進んでいた設備をほとんど改修することはありませんでした。

球場の老朽化は進んでいたものの、選手の記録としては素晴らしい記録が数々生まれた場所でもありました。
1980年には、張本勲が現役通算3,000本安打を達成し、1985年、1986年には落合博満が三冠王を達成するなど、球史に残る活躍を見せました。

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それでも川崎球場側は全くと言っていいほど球場の改修は行わず、ロッカールームは湿気がすごく、トイレも汲取式。水はけもかなり悪い状態のままなど、酷い状態が続きました。

これにしびれを切らしたロッテオリオンズは、川崎球場からの移転を検討し始めました。
これに焦ったか川崎球場は、川崎市内にドーム球場を建設する構想を発表したものの、採算が合わず頓挫した形となりました。

この後、パ・リーグの優勝を決める大一番、近鉄バファローズ対ロッテオリオンズのダブルヘッダー「10.19」が開催され、川崎球場は開業以来一番と言っていいほどの賑わいを見せました。
しかし、この賑わいに耐久できるほどの設備がなかった川崎球場は大きな混乱を招き、プロ野球の本拠地としての存続をかけている川崎球場はついに改修工事をすすめることになりました。

改修を決めた川崎球場でしたが、改修は一部施設に留まり、抜本的な改修とはならなかったため、とうとうロッテオリオンズは千葉県千葉市に新設された千葉マリンスタジアムへの移転を決定し、1992年から本拠地として使用することを発表しました。

川崎球場は移転に伴う補填費用をロッテオリオンズ側に求めましたが、ロッテオリオンズ側はこれを拒否し、ケンカ別れのようにして川崎球場を去ることとなりました。

この時には、今のように本拠地としてそれぞれの球団がしっかりとした設備を有していたため、当然のように川崎球場をフランチャイズ球場とする球団はなく、
この1991年をもって、川崎球場はプロ野球球団のフランチャイズ球場として終わりを迎えることになりました。

ロッテオリオンズが千葉へ移転した初年度には、この川崎球場でロッテ主催試合として2試合を開催。
この開催が川崎球場で行われた最後のプロ野球の1軍公式戦となりました。

その後は、二軍の試合が何回か行われ、高校野球や首都大学野球、社会人野球とアマチュア野球の試合が行われるようになったことに加え、アメリカンフットボールの試合も開催されるようになりました。
そして、1999年、川崎市が川崎球場の耐震診断を行なった結果、スタンド部分が震度6程度の地震で倒壊する危険があるとして、スタンドの解体と撤去を行うことが決まりました。

2000年3月26日には、この解体前にかつて川崎球場を本拠地としていた横浜とロッテによるオープン戦が開催されました。
そしてこの試合が川崎球場でプロ野球として行われた最後の試合となりました。

その後解体が進んだ川崎球場は、一部改修を施した後に草野球、軟式野球、アメリカンフットボールなどの球技場として使用されました。
そして本格的にアメリカンフットボール場としての改修が進められ、2012年には、野球場のようなダイヤモンド型から長方形の球場へと大幅な改修が行われました。

現在ではアメリカンフットボール場としての使用がメインとなっていますが、昔のプロ野球、そして川崎球場を懐かしむイベントなどが不定期で開催されています。

川崎球場は万年ガラガラ?

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引用:THE STADIUM HUB

川崎球場は開場当初から、その利便性の悪さから、集客には大変苦労していた球場でした。

開場間もない1954年に開催された試合では、プロ野球公式戦の観客動員数最少の記録とされる、観客数100人を記録しています。
このころは、実数通りの観客数が義務付けられていたわけではないため、実際の観客数はこの100人よりも少ない25人程度であったという声もあるそうです。

その後大洋ホエールズのフランチャイズ時代には、極端な観客数の減少が発生していたわけではなかったようですが、
観客動員数の向上と球団存続のためには、この川崎球場では全く物足りないものであったようです。

大洋ホエールズが横浜へ移転した後にロッテオリオンズが本拠地としましたが、この頃の観客動員数は球史に語り継がれるほどの観客動員数の少なさでした。

この頃のパ・リーグは現在のように人気のある球団というものがなく、プロ野球=巨人という世界でした。
そのため、パ・リーグの試合を見に来る観客数自体が少ない中で、川崎球場という利便性の悪い球場を本拠地としたロッテオリオンズは、ずっと「ガラガラ」の川崎球場を本拠地としていました。

もちろん、そのパ・リーグの中でも一際弱かったロッテオリオンズであったことも原因ではあるものの、川崎球場がロッテの試合で賑わうということは、全くと言っていいほどありませんでした。

あまりの「ガラガラ」さに、川崎駅前や銭湯などで無料入場券の配布なども行なっていたそうですが、それでも観客は集まらない状態だったそうです。
結果、川崎球場の試合では5,000人以下の観客しか集まらないことが多かったそうで、連日満員に膨れ上がっていた後楽園球場の巨人戦とは対象的な姿でした。

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そんな川崎球場が唯一と言っていいほど膨れ上がったのが、前述した「10.19」ではないでしょうか。
パ・リーグの大一番を迎えた試合で、当日は球場はもちろん満員。中には近くのマンションの屋上などから試合を見ていたファンもいたそうです。

しかし、公称30,000人、実際には25,000人から27,000人ほどの収容人数であった川崎球場が連日賑わう日は訪れませんでした。

ロッテの観客動員数は年間60万人から80万人程度であったと言われていますが、実際にはそれほどなかったと言われています。

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当時ロッテに在籍した初芝清に応援歌の歌詞には「ロッテの夢は 観客動員100万人」と揶揄されるほどであったため、満員になる日など程遠い世界であると思っていたようです。

しかし現在では、横浜スタジアムを連日満員としている横浜DeNAベイスターズ、そして年を重ねるごとに観客数を増やしている千葉ロッテマリーンズはこの川崎球場から移転をした後、人気球団と成長していきました。

両方の前身球団の本拠地が、その頃は人気もなく、閑散としていた球場であったということは今では信じられないほどです。

両球団が現在、積極的に観客誘致を行なっているのも、過去にこの川崎球場での「教訓」が活かされているのかもしれませんね。

川崎球場で流しそうめんや麻雀が行われていた?

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引用:Twitter

川崎球場は前述の通り「ガラガラ」すぎる球場でした。
そのガラガラさを自虐して「テレビでは見られない川崎球場」というキャッチコピーを打ち出していたほどでしたが、実際に川崎球場では、どのような雰囲気だったのでしょうか。

現在不定期に放送されているプロ野球・珍プレー好プレー特番でも時たま放送されている、川崎球場の名場面と言えば、球場内で流しそうめんや麻雀をしている観客の姿ではないでしょうか。

球場のスタンドの傾斜を利用して、流しそうめんをするなど、一体誰が考えたのだろうか、という感じもしなくはないですが、
当時はそんなこともできてしまうほど「ガラガラ」だったというわけです。

そして、野球を見に来ているのに、麻雀を行う姿も映っています。
流しそうめんもそうですが、麻雀をしてしまうとは、一体何をしに川崎球場に来ているのだろうかと思ってしまいます。

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引用:Twitter

恐らく、無料入場券をもらって、来てみたはいいが、あまりのつまらなさにこうした野球観戦以外のことに講じてしまったのかもしれません。

今のプロ野球では、流しそうめんも麻雀も全く考えられないことですが、当時の川崎球場ではそんな「テレビでは見られない」光景が日常のように繰り広げられていたんですね。

川崎球場ではカップルもいちゃつく?

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引用:スポステ

流しそうめんや麻雀など趣味に講じる人も見られた川崎球場ですが、「テレビでは見られない」光景は他にもあったそうです。
それは「カップルのいちゃつき」。

なんとカップルが堂々と抱き合い、キスまでしていたそうなんです。

とにかく周りに人がいないことから、このような行動に至っていると思うのですが、これも現代のプロ野球では考えられませんよね。
抱き合うなんてこともそうそうできないと思います。

このような光景はもちろん、実際にプレーをしていた選手からもよく見えていたそうで、そんな中野球をしなければならないのもかなりの苦痛だったと想像できます。

川崎球場専属の医者はおじいちゃん?

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引用:Twitter

川崎球場の「老朽化」は球場だけではなかったようで、あるゆる場面でその「老朽化」を確認することができます。

有名な場面と言えば、選手が負傷した際に駆けつける医者の姿です。

近鉄バファローズ対ロッテオリオンズ戦で、近鉄の助っ人外国人・ブライアントがロッテの捕手・袴田英利にクロスプレーでタックル。
そのタックルで袴田英利が失神してしまった際に駆けつけた医者がかなりのおじいちゃんであったことが有名となっています。

おそらくこの医者も長年の好で川崎球場専属の医者として就いていたのかもしれません。
この名場面は、フジテレビで放映されている珍プレー好プレーでの名物ともなっており、当時からの番組ディレクターはこの医者を「忘れられない名スター」であると語っています。

このように球場は「ガラガラ」であったことが現代となっては、名場面や貴重なシーンとして語り継がれている川崎球場。
当時は苦労も多かった球場だと思いますが、昔ながらを懐かしみ、球史にとっては決して忘れられることのない球場として、今後も語り継がれていくと思います。

今でも、川崎球場周辺では昔の姿を一部確認できるものもあるそうなので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

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