野球ルール・歴史

甲子園は幼稚園の砂場は松永浩美の失言?暴言の真相,捏造,現在についても調査!!

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2019年で101回目を迎える、夏の全国高校野球選手権大会。通称「夏の甲子園」。
令和になって初めて迎える夏の甲子園ですが、今年も熱戦に次ぐ熱戦が繰り広げられています。

この舞台となっている「阪神甲子園球場」は、グランドキーパー「阪神園芸」の皆様によって、
日々キレイなグランドに保たれています。

プロ野球でも、内野部分がすべて土で覆われているフランチャイズ球場は、阪神甲子園球場のみとなりました。
雨が降れば、グランドコンディションはプレーするに難しくなりますが、そのような時に「阪神園芸」の方々の卓越したグランド整備力によって、
ものの見事にプレーできる環境になっていきます。

その整備力は、称賛の域を超え、阪神甲子園球場の宿る神のように扱われているといっても過言ではありません。

そんな「阪神園芸」の方々によって、素晴らしいグランドコンディションに保たれている阪神甲子園球場ですが、
かつてこの阪神甲子園球場のグランドに暴言を吐いたと噂されていたプロ野球選手がいました。

その選手とは、阪急・オリックス、阪神、ダイエーで活躍した松永浩美選手(当時)です。
名球会入りは惜しくも叶わなかった選手でしたが、走攻守の三拍子揃った選手として、プロ野球の歴史にしっかりと名を刻んでいる選手の一人です。

そんな当時のスター選手が「甲子園は幼稚園の砂場」であるといった、阪神甲子園球場を侮辱するような発言をしたのでしょうか。

今回は、この発言の真偽と、発言者とされる松永浩美氏について紹介していきます。

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松永浩美が発言した?「甲子園は幼稚園の砂場」とは

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引用元:ミドルエッジ

「甲子園は幼稚園の砂場」。かなり衝撃的な発言ですが、一体どのようにして、この発言が世に広まったのでしょうか。

この発言は、当時阪神タイガースに在籍していた松永浩美選手が、成績不振にも関わらず、
FA権を行使し、福岡ダイエーホークスに移籍をした際に、記者会見をはじめ、様々な場面で阪神ファンを突き放すような発言したことから、
阪神ファンから反感を買い、とどめの一言のように「甲子園は幼稚園の砂場だ」と発言したとされています。

当時はこの言葉の真意が語られることはなく、ただこの「甲子園は幼稚園の砂場だ」と発言したことが一人歩きした状況であったそうです。
また、阪神ファンは、松永浩美選手への期待を裏切られる発言が多くあったことから、聖地として愛している甲子園を侮辱された言葉であると捉えたわけです。

実はこのFA移籍が、日本球界で初めてFAによって移籍したケースであり、選手が自らの希望で移籍するということに、世間が慣れていなく、
また選手もこのF移籍をする際の然るべき対応がなされていなかったことから、各所から反感を買いやすい環境であったと言えます。

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ちなみに、このFA権の導入を提唱したのが、この松永浩美選手自身であり、今のFA権があるのも松永浩美選手のおかげであると言えます。

この「甲子園は幼稚園の砂場」という発言は、日本球界初の行使となったFA権に揺れる騒動の中で起きた一幕でした。

松永浩美氏の経歴・成績・プロフィールについて

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引用元:週刊ベースボールONLINE

松永浩美氏は、1960年9月27日生まれの58歳(2019年7月現在)。
身長180cm、体重78kg。

福岡県出身で、小学校中学校と地元福岡で過ごしてきました。
高校は地元・小倉工業高校に進学し、高校時代は、外野手兼投手として活躍していましたが、なんと高校を退学して、阪急ブレーブス(現:オリックス)に入団しました。
高校を中退して、プロへ進むなど、現在では多くの議論を呼びそうではありましたが、こういったこともまさに「昭和」といった感じでしょうか。

高校を中退して、プロの世界へ飛び込んだ松永浩美氏でしたが、これが野球協約に抵触し、選手登録をすることはできませんでした。
したがって、選手登録が可能になる年齢まで、練習生兼用具係として従事していました。

そして、晴れて1979年に、支配下選手登録となり、阪急ブレーブスの選手の一員となりました。
入団後は、持ち味である俊足を生かすためにスイッチヒッターに挑戦しました。

練習に練習を重ね、1981年に1軍デビューを果たしました。この年は、出場機会は限られていましたが、打率は3割を超える活躍を残しました。
その後は1985年にその快足をいかんなく発揮し、盗塁王を獲得。
その後も3割近くの打率を残すものの、惜しくも首位打者を逃すシーズンなどもありました。

ちなみに現在でも数少ない、スイッチヒッター限定の記録である「1試合両打席本塁打」を日本プロ野球で初めて放つなど、意外性のあるパンチ力も発揮していました。

1993年には、首脳陣との確執もあり、阪急ブレーブスからトレードで阪神タイガースに移籍。
しかし、シーズン序盤に負った怪我の影響で、満足にプレーできないシーズンとなりました。

なおこの年、シーズン途中に背番号を「2」から「02」に変更しました。
「鬼(02)」のように強く、と縁起を担ぎ、このような背番号にしたそうですが、その後、プロ野球の規定の変更があり、支配下選手登録の選手は、00・0~99番以外の背番号は付けられない、ということとなったため、0と00以外で0から始まる背番号で公式戦に出場した、唯一の選手となった、という珍記録も保持しています。

阪神に在籍したのはこの1年だけとなり、成績不振ながら、前述した、日本プロ野球界初となるFA権を行使し、松永浩美氏の地元・福岡ダイエーホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)へ移籍しました。

ダイエー移籍後は、打率3割を超える活躍を残し、オールスターにも出場しましたが、その後は晩年ということもあり、怪我が度重なるようになるました。

そして1997年には自ら自由契約を申し入れ、球団もこれを容認する形で、戦力外となりました。

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ダイエー退団後は、引退するかと思われましたが、一転、メジャーリーグへの挑戦を表明しました。
そしてオークランド・アスレチックスの入団テストを受けました。

プレシーズンゲームに出場しましたが、ヒットを放つことが出来ず、入団が認められることもなく、松永浩美氏は引退を表明しました。
もし、この入団テストに合格していれば、日本人初の野手でのメジャーリーグ入団ということになりましたが、惜しくもその夢は叶いませんでした。

松永浩美と野田浩司のトレードについて

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引用元:日刊ゲンダイDIGITAL

当時オリックス(前・阪急)に所属していた松永浩美選手と、阪神タイガースの若きエースとして成長していた野田浩司選手のトレード。
このトレードによって、松永浩美選手はオリックスから阪神へ、野田浩司選手は阪神からオリックスへトレードされることとなります。

このトレードは「90年代に起きた最大の謎トレード」として評されています。
FA制度が誕生する前年に起きた大型トレードでしたが、このトレードで阪神は苦汁をなめることとなります。

野田浩司選手は、当時先発とリリーフの両方で大車輪の活躍をしていた若きエース。当時まだ24歳の若い選手でした。

対して、松永浩美選手は、オリックスの看板選手ではあったものの、年齢は当時32歳と、ピークを過ぎたベテラン選手でした。
前述の通り、松永浩美選手は、監督の土井正三監督との確執や、オリックス本社から送られたフロント陣との確執など、球団幹部との関係が悪化していたことで、阪急でプレーを続けるのは困難であると判断。

結果、阪神とのトレードを行うこととなりますが、当初オリックスが阪神に希望したのは、サウスポーの仲田幸司選手であったといいます。
しかし、これを阪神が拒否。代わりに差し出したのが、当時活躍していた野田浩司選手でした。

このトレードを行なった結果、チームに残った仲田幸司選手は次のシーズンで絶不調に陥り、松永浩美選手もシーズン序盤に怪我を負ったことで、離脱することとなりました。

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一方、オリックスへ移籍した野田浩司選手は、移籍したオリックスで飛躍的な活躍を残し、最多勝を獲得するまでとなる大投手へと成長していきました。

後に、松永浩美選手は、在籍1年限りでダイエーに移籍することなったため、阪神は大投手となる野田浩司選手をタダでオリックスへ差し出すような形となりました。

松永浩美の失言・暴言の真相は?「発言していない」との情報もあり、捏造か?

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引用元:駿河屋.jp

前述のトレードで差し出した野田浩司選手が移籍先で大活躍。交換で獲得した、松永浩美選手が怪我で全く活躍が出来なかったことで、過激とも知られる阪神ファン、そして関西のマスコミはものすごく激怒していました。

そんな中、在籍1年でダイエーへFA権を行使して移籍した松永浩美選手に対しては、ものすごく厳しい目を向けられることになりました。

そして、この移籍時に松永浩美選手が阪神に向けて放った一言として「甲子園は幼稚園の砂場」であるといった発言があったとされ、さらに松永浩美選手は多くのバッシングを浴びることになりました。

果たして、松永浩美選手は、阪神ファンにとっては「神聖なる場所」でもある阪神甲子園球場に対して、このような侮辱的発言をしたのでしょうか。

実はこの発言は、正確にはしていないそうでした。

松永浩美選手が発した言葉は、阪神甲子園球場のグランドの柔らかさを指摘した一幕があり、
「盗塁を増やすために、もう少しグランドを硬くしてほしかった」と要望したそうです。

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そこで「今は、どれぐらい柔らかい?」「幼稚園の砂場ぐらい?」と聞かれ、「いや、そこまででは…」と発言したそうです。

「幼稚園の砂場ほど柔らかい」とも発言していませんし、聞かれても否定していた松永浩美選手でしたが、
前述の通り、当時松永浩美選手に対しては、厳しい視線が向けられている中であったため、このような婉曲した形で世間に伝えられてしまったのかもしれません。

松永浩美の現在は?

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引用元:タレント依頼.com

現役引退後は、自らの野球教室「松永浩美ベースボールアカデミー」を埼玉県三郷市に設立し、小中学生を対象にプロ野球選手の育成を行いました。
直近は、2014年に独立リーグ・群馬ダイヤモンドペガサスの野手総合特別コーチに就任しましたが、程なくして、小中学生を対象に行う野球塾の塾長として指導していました。

2018年には、鹿児島県に移住をし、鹿児島の地で、地元の子供達へ野球を教えているそうです。

私生活では、現役時代に結婚した奥様とは離婚をし、その後再婚した、現在の奥さんと暮らしているそうです。

なんでも、その奥さんは30代とのこと。松永浩美氏は58歳ですから、その差約20歳以上となる年齢差。そしてこの現在との奥様との間には、新しくお子さんもいらっしゃるそうです。

さすが、元アスリートといった感じで、いつまでも元気な松永浩美氏。おじいさんと孫ぐらいの親子年齢差にもなりますが、いつまでも若々しくいて頂きたいですね。

プロ野球の歴史に、いろいろな形で名を刻んだ、松永浩美。
彼が受けたバッシングがあったからこそ、現在のプロ野球があるといっても過言ではありません。

ある意味、今のプロ野球があることは松永浩美氏のおかげでもあるので、感謝しなければなりませんね。

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